なぜ、与野党は内堀氏に相乗りしたのか

 住民にとって、あるいは県外から見えるこの選挙をわかりづらくした理由のもう一つが、立候補者決定に至るまでの「政局のわかりづらさ」だ。特に、「一強」である内堀氏に与野党が相乗りした経緯はなかなか見えにくい。

 なぜ、与野党相乗りが生まれたのか。

 多くの選挙がそうであるように、この選挙にも色々な思惑が絡み合い、それぞれの立場からの勝手な情報が飛び交った。それ故、与野党相乗りにいたった経緯の全体像を説明し切ることは困難であろうが、様々な前提を踏まえたうえで、与野党相乗りを理解するためのポイントを二つ示したい。

 一つは、「現職・佐藤雄平知事陣営の思惑による選挙戦開始の遅れ」だ。

 この知事選は、他の様々な選挙に比べ、最初の動きが見えるのが遅かった。かつては「小泉・細川連合も登場するのでは」「閣僚の時に福島によく来ていた細野豪志氏が出るのでは」「いや、郡山出身の田母神俊雄氏も興味を持っている」などと様々なうわさ話が飛び交い、それぐらいには全国的に注目を集めうるものだった。しかし、選挙まで3ヵ月を切っても、候補者が現れない状況があった。

 まず、立候補するのかどうかを真っ先に問われる現職の佐藤雄平知事は、進退を明言しなかった。

 この背景は「出る気マンマンなのではないか」「出る気はないが、回りを牽制しているんだ」などと様々に憶測されていた。答えがどちらなのか、他に何か思惑があったのか、本当のところは当人でなければわからないが、いずれにせよ、選挙戦開始を遅らせることには現職にとって一定の意義があったことは確かだ。

 仮に、自らが出馬する気が少しでもあるならば、早めに出馬表明をしてしまうと、例えば人材の層が厚い自民党がより「何かを変えてくれそう」感があり、大衆的な支持を得られそうな強い候補を選定し外部から送り込んで、民主党系である現職に当ててくる可能性がある。

 その点では、出馬表明をしないままでいると、相手はいつまでも動きにくい。もし、自分が勝てる見込みが低そうだと途中で判断すれば、その時点で自分の意をある程度汲んでくれそうな後継者を指名して「きれいに退く」可能性も残る。

 もし出馬する気がなくても、敵対候補が名乗り出づらい状況のなかで、この後継者指名に向けて準備を進められる。現職は、浮動票に向けた知名度を高めやすく権力も集中するポジションだ。地元のメディアに連日のように取り上げられるので、有権者に対して「成果」も見せやすい。その利点を最大限に活かそうとしたと見る可能性はあるだろう。

 実際には、現職の雄平知事は、自民党に対してのみならず、民主党内の敵対する勢力に対しても牽制をしていたと言われる。具体的に言えば、福島県選出の増子輝彦参議院議員の知事出馬や、あるいは、増子氏に親しい民主党系候補が出ることを避けようとしたという見方がある。

 事実、雄平氏の後継指名を受けた内堀氏の出馬表明後、増子氏は「内堀氏を支持できない」として民主党県連代表を辞任しているが、これは雄平氏周辺と増子氏周辺に小さからぬ具体的な対立があったことの証左だと言えるだろう。

 そのように、自民党や民主党内をけん制する中で選挙戦開始は8月までずれ込んだ。そんななかで先に動いたのが、自民党福島県連だった。

 ここに二つ目のポイントがある。それは、「負けられない自民党本部の意向」だ。

 選挙まで3ヵ月を切り、自民党県連周辺でも、具体的な候補者模索の動きは強くなり、様々な名前が飛び交っていたと言われている。地元選出国会議員や福島県に縁のある現役官僚の名前などだ。しかし、一本化は進まなかった。

 理由は様々であろうが、その一つとして、県連内部での主流派・反主流派の対立があると言われる。福島県は全国3位の面積があり、選挙で動く範囲が広く、どの議会でも自民党系議員が多いため、内部に主流派・反主流派が生まれることは、県内政治の歴史を眺めても、地域別に見ても、よくあることだ。特に、現在の県連の主流派と反主流派の対立は強く、誰を出すのか、まとまりにくかった。

 8月に入ると、自民党本部は自民党県連に対して、民主党系候補への相乗りをするよう、公言するようになる。背景には、先に述べた滋賀・福島・沖縄の県議選で3連敗を避けたいという思惑があったとも言われるが、4年前の前回選挙でも自民党は独自候補を立てていなかったことを考えれば、発想として不思議なことではない。

 しかし、自民党県連には、本部の意向とは違い、独自候補擁立の意志が強くあり、結果としてこの「早く勝てる候補を決めないなら、相乗りでもしておけ」という「相乗り圧力」を受け、それに対抗する形で早急に元日銀福島支店長の鉢村健氏を推薦した。それがお盆明けのことだ。そこから、鉢村氏は選挙運動をはじめ、県内各地を周るようになっていた。

 ところが自民党本部は、度々の県連からの要請にもかかわらず、鉢村氏への推薦をなかなか出さない。そして、9月に入ると自民党本部は鉢村氏を推薦しないことを決定し、満を持して内堀氏の出馬表明となり与野党相乗りが完成する。

 ここにも様々な憶測が飛び交った。「県連として鉢村氏を推薦した後も、鉢村氏を擁立した勢力とは違う県連内の勢力が、相乗り候補の擁立に動いていた。その話がまとまったのがこの時だった」「情勢を調査してみると、確実に勝てるかわからない数字が出た」などと。それらの情報の正誤はわからないが、結果として、日銀神戸支店長を退職してまで知事選に立候補しようとした鉢村氏は梯子を外され、それを仕組んだ自民党県連の一部議員は面子を潰された。一方で、自民党本部の、恐らく政権の安定化などのために「負けないこと」を重要視したであろう方針が通ったのは確かだった。