2007年12月に閣議決定された独立行政法人(独法)の整理合理化計画。現在102ある独法は86まで減るものの、その実態は、すべて同じ所管省庁内での統合にすぎない。福田内閣の一大テーマであった独法改革は骨抜きにされ、単なる数合わせに終わった。
渡辺喜美行政改革担当相のひとり相撲となった「独立行政法人改革」は、年の瀬も迫った12月24日の整理合理化計画の閣議決定でようやく幕を引いた。結果は、官僚側の大勝利といってよい。マスコミの援護射撃のみを頼りにした渡辺行革相だったが、官邸を動かす内閣官房の「官邸官僚」の前になすすべはなかった。
福田康夫内閣にとって今回の独法改革は、安倍晋三前内閣のいわば“置き土産”である。農林水産省所管の独法、緑資源機構の談合事件摘発、同事件への関与を疑われた松岡利勝農水相(当時、以下同)の自殺という安倍政権を直撃した激震のなかで、安倍首相は緑資源機構の廃止を決定。同時に独法全体の「ゼロベースからの抜本見直し」を佐田玄一郎行革担当相に命じたが、その佐田氏も架空の事務所費計上問題で辞任、後任に起用した渡辺氏に委ねたのである。
渡辺行革相は、行革担当相就任直後から新人材バンク(官民人材交流センター)設立をめぐり霞が関の中央省庁と“戦闘状態”に入ったが、安倍首相、塩崎恭久官房長官などの「安倍チーム」のバックアップでなんとか乗り切った。
しかし、このときの渡辺行革相に対する霞が関の抵抗は前例がないほど執拗だった。財務省が新人材バンク案に反対する冊子を公然と配布しただけでなく、経済産業省は行革担当相の事務局である内閣官房・行革推進本部事務局に出向していた審議官を異動させ、後任を出すのを拒否。また、財務、経産両省は行革担当大臣室に出向させていた事務官を引き揚げるということまでしている。
小泉純一郎内閣では、「官邸」に睨み殺しにされた霞が関だったが、安倍内閣ではほぼ完全に息を吹き返したのである。