金融機能強化法案の復活、成立を政府が急いでいる。金融機関へ10兆円もの公的資金投入枠を確保し、中川昭一財務相は「資金繰りに窮している中小企業へ相当の効果がある」と自信を見せる。
4年半前の2004年6月、私は『地方金融機関の怠惰』と題するコラムを週刊ダイヤモンドに掲載した。その書き出しは、以下のようなものだった。
『金融機能強化法案の成立が、微妙になっている。廃案になれば、金融庁は秋の国会に再提出の構えだ。狙いは公的資金2兆円の投入、不良債権の処理が進まぬ地方金融機関を再編、統合することにある』――。
当時の2004年は、小泉政権が公約した不良債権集中処理の最終年度だった。この年、東京三菱銀行がUFJ銀行(ともに当時)を救済合併し、メガバンクの不良債権処理は大型再編とともに最終局面を迎えていた。
だが、地方金融機関(地銀、信用金庫、信用組合)は、依然として負の遺産を抱えたままだった。そもそも、彼らは数こそ多いものの、それぞれは資金量も自己資本も少なく、リスクを取って成長企業に融資をしたり、企業を再生するノウハウや先端的な金融技術を蓄積する体力がなかった。
つまり、財務は不健全であり、業務は旧態依然としていた。それにもかかわらず、危機感はあまりに薄かった。不健全な銀行は身を削るような不良債権処理を避け、健全な地銀にしても超低金利を背景に、国債ばかりを購入していた。やっかいな融資案件があると、信用保証協会に持ち込むだけでリスクなど取ろうともしなかった。同一地域に銀行は何行もあるのに、地域活性化のリーダー役を果たそうとする姿勢はどこにもなかった。地元の資金循環を促す心臓の役目を果たしていなかった。地方の景気回復が遅れる主因だった。
地域金融機関は規律がすっかり緩み、能力は低下の一途だった。自己革新などありえそうもない怠惰が、彼らを覆っていた。
となれば、政府が動くしかなかった。翌年にペイオフ解禁を控え、金融不安の種火を消しておく必要に迫られてもいた。政府は自らの権限と裁量を拡大し、公的資金を経営不振行のみならず健全行にも「国が予防的、機動的」(金融機能強化法の条文)に資本注入することによって、不良債権処置と再編統合を加速させようとした。
金融機能強化法案は2004年8月に時限立法として成立、施行された。そして、2008年3月、その成果を検証されることもなく期限が切れ、存在を失った。ところが、世界的金融危機の広がりに危機感を抱いた政府は突如、公的資金投入枠を5倍もの10兆円程度に拡大して、復活を図ったのである。