写真 加藤昌人 |
20歳代をかけて、R・B・ボースの人生をたどった。1915年、日本に亡命、新宿・中村屋に身を隠し、インド独立を画策した闘士は、じつは、アジア解放を希求しながら、英国と相似形の日本帝国主義に阿(おもね)らざるをえない現実との狭間に懊悩していた。軍部とのにぎやかな宴会に興じた後、親しかった朝鮮人実業家を呼び出し、カウンターで盃を酌み交わしながら、抱き合うように泣くのである。妻に先立たれ待つ者のない家に、まっすぐ足が向かわなかった。
「右翼だとか左翼だとか、そんな言葉では片づけられないボースの複雑さに関心を抱いた。人間は合理的にばかり発想しない」
緻密な調査と検証に裏づけされた論理を道具に、装飾や仮装を剥ぎ取り、人間を直視する。その視線は現代日本社会にも向けられている。若者に蔓延する「自分探し」からナショナリズムへのワープ。こうした軽薄なナショナリズムを「保守化」と形容する短絡。体系や全体より断片化された部分に反応する「萌え」は改憲萌え、護憲萌えに行き着き、納豆騒動然り、メディアが共犯者となって形成するグロテスクな世論は、熱狂を欲しがり、敵を見つけては袋だたきにする――。そのすべてに横たわる思考停止を、決して見逃さず、通り過ぎず、言葉をもって警告し続ける。
「わかりやすさとは、AかBかの二者択一にすり替えることではなく、ていねいに言葉を尽くして説明すること。地道に言論するしかない」
(『週刊ダイヤモンド』副編集長 遠藤典子)
中島岳志(Takeshi Nakajima)●アジア政治学者。1975年生まれ。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究課博士課程を修了。ヒンドゥー・ナショナリズム研究で注目され、なかでも「中村屋のボース」は2005年大佛次郎論談賞、アジア太平洋賞大賞を受賞した。現在、北海道大学公共政策大学院・法学部准教授。