世界の日本料理へ
村田 私もノブさん同様、若い頃から日本料理を「世界の料理」にしたいと思っていました。思いは同じですが、国内で私ができることと、海外でノブさんができることはまた違いますね。私は料理人の教育を含め、私のできることで、日本料理を次の時代に残していきたいという思いがあります。そもそも「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されるなんて、私たちの若い頃は夢のまた夢でした。「ノブスタイル」が世界に受け入れられてきたことが、本当に大きなことだったんだと実感しています。
松久 僕が海外へ出た原動力は自分の夢でした。「日本料理を広める」といった大きなビジョンは、本当に持っていなかったんですよ。僕が海外の文化・習慣に合わせた日本料理をつくっていくことができたのは、他ならぬ村田さんたちが受け継いで来られた日本料理のベースがあったからこそできたことだと思っています。
村田 これだけ世界に知られているノブさんという料理人が日本から出ているということは、私たちにとっても大きな力です。何より、同じ時代に生きているということが刺激になりますし、尊敬しています。「むらっちゃん」と呼んでいただいて、時にはアマゾンの奥地までご一緒して、ピラルクを料理させていただく機会もありました。本当に、生まれた時代がよかったなと思います。
松久 村田さんがされているような、若い人たち、世界の人たちに日本料理の門戸を開く人がおられること、海外にいる僕たちはそうした動きに本当に感謝をしているんです。海外の若い人たちを受け入れてくれる日本料理店の最前線に村田さんがおられるという安心と刺激をいつもいただいています。
日本に村田さんのような方がいるから、僕たちは海外で自由にやらせていただいている。同じ時代で、競争ではなく共創できる仲間だといつも思っています。次の世代の人を育てるために、僕たちはがんばらないといけない歳なのかもしれませんね。
村田 もう先が果てしなく思えるほどは長くはないですからね。とはいえ、ノブさんはもう、生きながらのレジェンドですよ。