一時国有化されていた足利銀行の受け皿が、野村ホールディングス傘下の投資会社を中心とする野村グループに決まった。決定が当初の見通しより大幅に遅れた背景には、金融庁の思惑があった。

 2006年9月にスタートした受け皿選定は、2008年4月1日からの再出発をにらみ、昨秋、遅くとも昨年末までには決定するはずだった。

 野村グループと、横浜銀行をはじめとする地銀連合の一騎打ちとなった最終選考が始まったのが昨年9月。この段階ですでにスケジュール的には遅れていたものの、今年1月中に最終決定すれば、ぎりぎり間に合うタイミングだった。

 ところが、ここから想定以上に長い時間を要す。というのも、2陣営が事業計画を提出した後になって、金融庁は買収総額の引き上げを両者に打診していたからだ。

 国には足利銀の債務超過分を公的資金、つまり税金で穴埋めする義務があった。その負担をできるだけ減らしたいという思惑があり、かなり粘ったのだった。

 特に、預金保険機構が保有する足利銀株を買い取る株式譲渡額の積み増しが最大のポイントとなった。受け皿が拠出する株式譲渡額を、譲渡時に2500億円程度と見られる債務超過額から差し引くことができるためだ。

 さらに、譲渡後に発生する新たな損失を、国と受け皿のどちらが負担するかという「ロスシェアリング」の調整にも手間取っていたようだと関係者は明かす。

 当然、国は損失を負担したくない。そのため、条件面での交渉をはじめ、新たな損失を減らすため、不良債権に分類されている債権を精査する作業に時間を要したというのだ。

 このような経緯を経て、足利銀の再出発は3ヵ月ずれ込んだ7月1日からとなり、本来必要のなかった2008年度上期の計画を策定せざるをえなくなるなど影響も出た。

 とはいえ、ひとり立ちできるまでに業績を回復させた、池田憲人頭取の敷いた再建のレールは引き継がれる。足利銀は「切りが悪い時期のスタートだが、引き続き頑張るだけ」(足利銀幹部)と決意を新たにする。

(『週刊ダイヤモンド』編集部 田島靖久)