そういうもので不安をあおる一方、他方でこういうか弱い親子を守らなくていいのか、と説得しようとしている。しかしそれは、理論的な話でも何でもない。イラク戦争や湾岸戦争の時に自衛隊を派遣したようなケースでは、武力行使の要件に該当しない、と言っているけれども、しかし日本人の親子が乗っているアメリカの船は該当するという。その基準がいったいどういう理由でそうなるのかがわからない。論理的な説明じゃないんですね。安倍首相の個人的な意志の表明にすぎない。

 安全保障というのは論理的な一貫性が非常に重要なんです。それが結局、御本人の「やりたい」という意志が先行しているものだから、論理的な整合性が取れないまま、物事が進んでいっている。

「抑止力」という考え方は軍拡競争に陥る

──集団的自衛権行使に関する国民の最大の不安は、これを容認することで、他国の紛争に加担する、あるいは巻き込まれるようになるのではないか、ということかと思います。安倍政権は、発生した事態が「新三要件」(※図参照)を満たしているかどうか政府が判断することを集団的自衛権行使の条件とし、これが歯止めになるとしています。

 全く、歯止めになっていないと思います。

「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるとき」は、個別的自衛権は使っていいというのが、今までの解釈だった。問題は、日本が攻撃されていないのに、そういうことがあり得るかということです。

 本来そんなことは論理的にあり得ない。論理的にあり得ないのなら閣議決定する必要がない。わざわざしているということは、やはりそれを使おうとしているわけですね。

「ホルムズ海峡に機雷が撒かれて石油が止まる」といった事例も挙げていますが、日本は水とコメと空気以外輸入に頼っている国ですから、そんなことを言いだしたら無限に拡大していってしまう。

 つまり、そういう中間項を入れないと、あの基準というのは使いようがないのですが、中間項を入れだすと、世界中のあらゆることが対象になり得る。新三要件は全くできないことを言っているか、あるいはできるとすれば全く歯止めにならない、ということです。

──安全保障の専門家の方たちは、現実主義の観点から、集団的自衛権の行使容認をはじめとする安倍政権の安全保障政策をおおむね高く評価しています。

 集団的自衛権の行使容認も、一つの選択ではあります。今までの憲法の解釈は、ひとことで言えば「他国の戦争には加担しない」という原則だった。その解釈を見直すことで、確かに、相手を牽制する意味はあるだろうと思います。相手がそれで恐れて手を出さなくなるのであれば、安倍首相がおっしゃるように、抑止力が高まって、日本は平和になるという理屈が成り立つ。