ISIS(「アイシス」と発音。「イスラム国」を国家として認めたがらない欧米メディアでは、この名称を使うこともいまだに多い)による邦人人質事件はいまだ解決の糸口さえ見えないが、日本国内の議論を見ていると「人道」という視点からの議論が少ないように思える。というわけで、今回は「人道」とか「人道支援」というものについて考えてみたい。

 なぜなら、日本で「人道」という言葉を持ち出すと多くの人間は思考停止状態に陥り、マスメディアでも「絶対的な正義」としての文脈で語られることがほとんどだからだ。今回の事件でも、自己責任論を唱える人間も多いが、その一方で人道的見地から人質の命最優先だと主張する人も多い。

 もちろん、人の命は尊いし、どのような状況や事情であれ、自国民の生命を守るのは国家の責務だ。しかし、今回のようなテロ組織と対峙するケースだけでなく、戦争によって生み出された難民支援のように、一見すると絶対的な正義に見えるような支援活動が、新たな悲劇を生んでしまうこともある。

 たとえばNGO。彼らの仕事は人道支援だが、その活動が絶対的な正義とは言えないケースもある。しかし日本では、そのような理解があまりなされていない。そこで今回は、NGOによる人道支援活動の負の側面を取り上げた書籍『クライシス・キャラバン ~紛争地における人道援助の真実』(リンダ・ポルマン著 大平剛訳 東洋経済新報社刊)から、その一例を紹介する。ルワンダ虐殺とそれに関連する難民支援の話だ。

世界中から莫大な金と物資と
NGOが集結したルワンダ

 ルワンダは、かつてはベルギーの植民地だったが、ベルギーは少数派のツチ族を重用し、多数派のフツ族を差別的に扱っていた。しかし、1962年のルワンダ独立後、ベルギーとツチ族の関係が悪化。するとベルギーは、フツ族に肩入れするようになる。そして1973年、クーデターによってフツ族が政権を取り、反ツチ姿勢を強めたことから、内戦が勃発。いったんは和平が合意されるが、1994年4月6日、フツ族出身の大統領を乗せた飛行機が何者かに撃墜される事件が発生。この事件をきっかけにフツ族によるツチ族の大虐殺が始まった。

 犠牲者の数は正確には分かっていないが、約3ヵ月の間に80万人とも100万人ものツチ族が殺されたと言われる。その後、7月に入ってツチ族が反転攻勢をかけ紛争は終結したが、この過程で隣国のザイール(現コンゴ民主共和国)やタンザニア、ブルンジなどに多くの難民が押し寄せた。同著によれば、その数は200万人と推計されている。