だがその翌月26日ウクライナでは「最高会議」(国会)の総選挙があり、親欧米の革命派諸政党が450議席中300以上を占めた。また米、西欧諸国は停戦合意の後に、かえって対露経済制裁を強化したこともあり、ポロシェンコ政権も対露強硬策に戻り、11月3日「特別の地位」を認めた新法の撤廃を声明するに至った。

その理由として、ドネツク、ルガンスクの「人民共和国」で11月2日に選挙が行われ「共和国の首長」を選出したことが挙げられた。停戦合意では「独自の地方選挙」を行うことは認めていたが、「人民共和国の首長」の選挙は分離・独立を意味する、と言う訳だ。とはいえ、この「新法撤廃」は停戦協定を反故にするもので、ウクライナは内戦再開を宣言したことになった。

 2013年4月に始まった東ウクライナの内戦ではこれまでに約5500人の死者が出た。昨年9月の停戦までの16カ月間に2729人(マレーシア航空機の298人を含まず)だったから、内戦再開後の4カ月ほどで前回とほぼ同数の死者がでたことになる。ウクライナ政府軍は昨年夏と同様押しまくられ、親露派部隊は支配地域を600平方km拡大し、1月末には以前から激しい攻防戦の焦点だったドネツク空港をついに確保した。

プーチンはクリミアは併合したが
東ウクライナへの意欲はない

 ロシアのプーチン大統領はクリミア併合を目指していたが、東ウクライナを占領しようとまでは考えていなかったようだ。クリミアは1783年に女帝エカテリーナが、オスマン・トルコ帝国の属国だったクリミア・ハン国を併合して以来ロシア領で、人口の大部分がロシア人だったが、1954年にウクライナ出身のフルシチョフ首相がクリミアをウクライナ領に編入した。当時ウクライナはソ連邦の一部だったから、行政区画の変更にすぎず、問題は起きなかったが、1991年にソ連が崩壊し、ウクライナが独立すると、ロシア人住民はウクライナ国民になることを嫌がって、92年5月には独立宣言を出した。

 当時ロシアとウクライナの関係は親密だったから、両国の協議でクリミアはウクライナ国内の自治共和国とし、高度の自治権を認める、という大人の妥協が成立した。

 ところが2013年2月22日にウクライナ議会が親露的なヤヌコビッチ大統領解任を決議し、同大統領はロシアに亡命した。ウクライナ議会はクリミアでも公用語はウクライナ語とするなど反露的な民族主義政策を取ったからロシア系住民が蜂起し、地元出身者が多い同地の軍人も多くがロシア側に付いたから戦闘は起こらず、3月16日の住民投票では96.7%がロシア編入に賛成した。