職場でのいじめについて論じるメディアは多い。そのほとんどが、筆者にはタテマエに見える。端的に言えば、いじめとはその社員の人格や名誉、誇り、人権を否定する行為でしかない。いじめを受けている人が、時には理屈抜きに相手に報復し、復讐をすることは、一概に批難されるべきではないと思う。

 今回は、落ちこぼれに近い40代のディレクターからいじめを受け、今はその職場を離れた後、反転攻勢のきっかけを待つ放送作家を取材した。この男性の執念に満ちた生き方を、「ストーカー」として揶揄することはたやすい。

 だが、タテマエばかりがはびこる企業社会において、彼はホンネむき出しの貴重な生き方をしている、と捉えることもできるのではないだろうか。あなたは、この作家から何を感じるだろう。いじめを受けたら、どのように行動するだろうか。


「ざまあみろ。お前は俺に何をした?」
ストーカー作家が呪うかつての同僚ディレクター

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 放送作家の小堺(仮名/42歳)は、ほぼ毎日、フェイスブックを見る。そんな自分の姿を「ストーカー作家」と笑いながら認める。筆者とは、十数年の付き合いだ。

 狙いを定めているのは、放送局の関連会社(正社員250人)に勤務する内村(仮名/52歳)のウォールだ。書き込みを読む限りでは、内村はここ数年で家族を何人か亡くしたらしい。

「今日、妹が神に召された」「父が生きていた頃は……」

 こんな言葉が随所に出てくる。かねてから、キリスト教に熱心だったという。だからなのか、人の生死にかかわることがいくつも書かれてある。

 小堺は、書き込みを冷めた眼差しで見つめる。むしろ痛快な思いになっている。「ざまあみろ。お前は、俺に何をした? あれほどに苦しめただろう? こういうのを、因果応報と呼ぶんだよ」