東日本大震災の報道から感じられなかった
現代日本人の日常から消えた「死」のリアル
一見、被災者のことをちゃんと書いているように見えるけれども、ものすごく主観的で、「頑張った」「可哀想」「悲劇」「乗り越えよう」「つながろう」といった感情ありきの話が続きました。実は取材者が何を感じたのかまったく書かれていない緩い内容ばかり。2万人近くも亡くなったり不明になった大災害の現場なのに、伝えられる内容からはまったく「死」の臭いが感じられない。そこで、取材した記者の目から震災を描くべきではないかと考えました。
記者に対しては一般の先入観も多くて、記事になるならなんでも書く“マスゴミ”だとひとくくりにしがちです。でも、あの凄惨な現場で被災地の“現実”を伝えるのは困難を極めたと思います。自分が記者だったから擁護するわけではなく、批判する前に“現場”でどんな取材がなされたのかを知るべきではと思ったのです。
実際に発災直後の被災地に入って取材したという記者たちに話を聞きました。申し訳ないくらいあれこれ聞いて、号泣し始めた人もいました。「真山さんの言うとおりだけど、現場ではできなかった。どうすればよかったと思いますか?」と逆に聞かれることもありました。「遺体の写真は撮ったのか」と問うと、「生きている人が取材対象だったから撮らなかった」という人がほとんどで「遺体の尊厳は大事だけど、記録するために行ったのでは?」と聞くと「そうかもしれません。そのときは考えもしませんでした」と。機械じゃないから自分の目で見えているものを直視できる限界というのはありますよね。それだけ現代の日本人は、死と距離があるんだと気づきました。
今の日本では、特に都会であるほど、「死」というものが消えています。自宅で家族をみとることもほとんどなく、病院で機械につなげられた状態で「死」の瞬間が確認されることが多い。だから、時間とともに生の灯火が消えて死が訪れた瞬間というのを見慣れていません。私自身は高校生のとき祖母が自宅で亡くなって、こういう臭いがするんだ、こうやって人間は死んでいくんだ、と感じたことを今でも鮮明に覚えています。
新聞記者は、死傷者の出る事件や事故を取材して見慣れていると思われるかもしれませんが、そんなことはない。一報が入って一番乗りで駆けつけても、現場に残っているのは血糊ぐらいで死を目の当たりにすることはまずありません。臭いすら残っていない。それが、いきなりあの悲惨な現場に行って、恐くて踏み出せませんでした、というのは本当に正直なところなんだと思います。
記者の上の立場であるデスクたちに「なぜガザ地区の自爆テロや戦争で焼けたり亡くなったりした人の写真は紙面に出るのに、震災の遺体の写真は出さないのか」と尋ねると、「戦争と災害は別だ」と言われました。
でも、「亡くなる」という事実は、失う側にとっては同じことですよ。犯人が判明している死も恨む方向がわかっている辛さがあるけど、自然災害で亡くなったり、亡骸もあがってこないような、恨む方向すら分からない状況は残された者にとって非常に辛い。ところが被害者のご遺族は、こちらが驚くほど「全部話すから、どうやって息子が亡くなったのか、家が流されたのか、すべてを書いて欲しい」と言われます。それが生きた証になるからです。けど、多くの記者は打ちのめされてそれができない状態だったんでしょう。
私は部外者だから言えることでもあるし、批判したいわけでは全くありません。ただし、それだけ大きな災害が起きたことをそのまま伝えれば、あの東日本大震災に対する我々のイメージは変わっていたはずです。それをノンフィクションが無理ならば、小説で伝えたい、と思いました。私自身が阪神大震災のときにできなかったことを、今回ならやれるんじゃないか。単にこんな悲惨な話を知っていますかという押しつけがましい話でなく、より広く読んで頂けるエンタテインメントとして小説にできないだろうかと考えました。