そのため、1950年4月に優生保護法が改正され、人工妊娠中絶が認められる要件に「(妊娠の継続又は分娩が身体的又は)経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という項目が付け加えられました。それをテコに、大規模な産児制限が実施されたのです。

 結果として、その後20年にわたり出生率が低迷します。年間出生者数は、それまでの260万人から最も低いときには100万人も減り、160万人となりました。このときの出生者数の大幅減が、さきほどの「子どもを生む年代の女性人口の激減」の原因です。そのとき生まれた女の子は少なく(もちろん男の子も少ない)、その女性が生む女の子も少なく……という負のループによって、子どもを生む年代の女性が急速に減少し続けるのです。政策によって人口をいじったツケと言えるでしょう。

政策によって人口をいじったツケ
必要のない産児制限で中絶大国に

 歴史の皮肉でしょうか。実は、この産児制限は必要がなかったのです。なぜかと言うと、優生保護法改正直後の6月25日に朝鮮動乱が勃発し、国連軍の前進基地となった日本では朝鮮特需によって経済が急速に拡大し、国民は戦前よりもはるかに豊かになったからです。

 しかしそうなっても、なぜか妊娠中絶件数は減少しませんでした。年間出生者数が最低水準となる160万人にまで落ち込んだのは、なんと1961年のことです。そのわずか3年後に、東京五輪が開催されています。「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当するケースは、おそらく皆無に近かったはずです。政府による人口妊娠中絶の奨励が、国民の生命倫理に重大な変化を引き起こしたのかもしれません。

 現在の日本の中絶率は、医学界の推計によると52%にも上ると言われます。「日本は中絶大国」との国際的な非難に、厚労省も優生保護法から経済条項を外そうと試みましたが、女性の反対運動により、国会上程には至りませんでした。少子化対策を議論する前に、「子どもは誰のものか?」といった議論こそが必要でしょう。私は、子どもは子ども自身のものと考えます。