中国が金門島を占領
自衛隊が尖閣諸島に上陸
こうした議論がアメリカで盛り上がるなか、中国が突然行動を起こした。福建省の沖数キロに位置する台湾の飛び地、金門島を占領したのだ。
この島は毛沢東時代に中国軍の砲撃を受け、アイゼンハワーが防衛のために第七艦隊を派遣したこともある冷戦初期のホットスポットだ。だが一九九〇年代に台湾政府が非武装化を決定してからは、中国本土から人気の日帰り旅行先としてにぎわっていた。クリントンの大統領就任式から数週間後の二〇一七年二月に、中国海軍陸戦隊(海兵隊に相当)の三大隊が無血占領するまで、そんなことが起きようとはほぼ誰も思っていなかった。
中国指導部はアメリカの反応は鈍く、アメリカの同盟国は狼狽し混乱すると踏んでいた。だが実際のアメリカの反応は、鈍いどころかゼロだった。アメリカの空母が台湾海峡に派遣されることはなかったし、台湾政府への武器供給もなく、国連安保理の非難さえなかった。
クリントン政権の無関心ぶりを見た日本、韓国、フィリピン、ベトナムの指導者たちは、アメリカはいざというとき頼りにならないと判断した。金門島占領から数週間のうちに、ベトナム国防相はモスクワを訪れて潜水艦、ミサイル艇、及び最上位機種の戦闘機の購入合意をまとめた。
日本の首相は韓国を訪問して、第二次世界大戦中の残虐行為について電撃謝罪。それと引き換えに、日韓合同軍事演習を行うことで合意した。日本はさらに予期せぬ動きに出た。海上自衛隊が夜の闇にまぎれて尖閣諸島に上陸したのだ。
これは金門島を占領した中国が、次に尖閣諸島を奪うのを阻止するねらいがあった。ところがこれは中国全土で反日暴動を引き起こし、観光客や在外公館や日本人学校が標的になった。大連の日本人学校が放火され、三〇人以上の生徒が死亡した。だがアメリカ国務省は「双方」に「自制」を促しただけだった。
(次回に続く)