【反論3】「住民投票などの手続きだけでなく、住所変更などの不要な手間や費用がかかる」

 確かに、何かを変えるときには必ず手間がかかる。昔全国の郵便番号が7ケタに変更されたときにも、当初は違和感があったのを覚えている。確かに、町の小規模な商店や工場からすれば、経費が余分にかかることに抵抗したくなる気持ちも理解できる。ただ、制度変更というものは未来への「投資」である。その後の必要性やランニングコストの低減のために、投資するのである。

 そもそも、大阪市のような大都市を廃止するのは重大なことではあるが、市を廃止すること自体は市町村合併で経験済みである。運転免許証や保険証などの住所変更なども、その例に倣えばいいだけで、なんら案ずることはないと思える。

真の評価は後の時代が決める
改めて考えるべき都構想の意味

 ここまで筆者なりの反論を述べてきたが、反対派が言うように、確かに大阪都が実現したからと言って、市民の税負担が軽減されたり、住民サービスが大幅に改善したりすることは、おそらくないだろう。なぜなら、高コスト化は高齢化が進む社会において仕方のないことだからだ。社会全体で高コスト化が進むなか、いかに破綻を避けるかが今の時代のトップイシューなのだ。

 そう考えると、たとえ都構想が実現したとしても、賛成派が後で「我々の生活はちっとも改善しない!」などと怒るのはお門違いで、「金がない」という前提を忘れた無責任な態度だと思う。

 大阪市民は何がどの程度変われば、「変わった」と実感するだろうか。たとえば、年金が月5万円くらいアップすれば「生活がよくなった」と実感するかもしれない。ただ、それは日本全体の経済・財政構造自体が変化を続けるなか、今の時代において不可能に近い要求だ。賛成派も反対派も、そうした日本の全体像を眺めながら、都構想の意味を改めて見直してみる必要がある。

 いずれにせよ、「大阪市廃止」は否決された。この事実は受け止めなくてはならない。反対派を「既得権益」と揶揄することは簡単だが、反対の声が多数だった事実は真摯に受け止めるべきである。逆に、反対派の人々も、70万人近い市民が賛成を投じたことの意味を考えるべきだし、特に若い世代では賛成派が上回っていたという事実からも目を逸らしてはならない。

 7年前に橋下徹が掲げた「おおさかの笑顔」は挫折した。だが、この激戦を乗り越えて、「笑いの本場大阪」が笑顔になってくれることを願ってやまない。