生活保護を「権利」と言えない社会が
子どもたちの夢や希望を奪う

2014年8月30日、前日に発表された「子どもの貧困対策に関する大綱」を受けて大阪市内で開催された集会「緊急アクション関西 ~子どもの貧困対策大綱できてんて? ほんで、どうすんねん?」で現状を訴える、徳丸ゆき子さん(大阪子どもの貧困アクショングループ(CPAO)代表)
Photo by Yoshiko Miwa

 徳丸さんは、英国滞在経験がある。当時の友人たちは、その後、さまざまな人生を歩んでいる。中には現在、日本の生活保護に相当する公的扶助を利用している人もいる。

「私、お母さんたちの『おいしいもの食べちゃいけない』を、その友達に話したんです。そうしたら、驚かれたんです。『どうして? 権利じゃないの』って」(徳丸さん)

 私は徳丸さんの話を聞きながら、外国で公的扶助を利用して生活している低所得層の人々の表情を思い浮かべた。もちろん、「不幸そうに見える」「自分を卑下している」といった人も、いるにはいる。しかし多くの場合、教育を受けたり就労活動をしたりすることも含めて自分の人生を展開させることに喜びを持ち、生きることを楽しんでいる。

「……日本がどうなっているのか、どうしてこうなのか、私、説明できないんです。日本語でも説明できません。自分の頭の中で理解できないんです。まして、英語で言えるわけはありません」(徳丸さん)

 お国柄や地域性、文化や風土は、影響を及ぼしてはいるだろう。しかし、それだけで説明できるだろうか? 説明できないだろう、と私は思う。

「日本の生活保護に対しては、『こんなに、生きていることが虚しくなる制度って、何だろう?』という気持ちになります」(徳丸さん)

 生きることを虚しく「させる」側の論理は、何なのだろうか?

「一言で言えば、『自己責任』ですよね、嫌な言葉ですけど。だから、『ゼイタクなんかするな』というプレッシャーになるんでしょう。そういう言葉を実際に言われても言われなくても、皆さん、感じて、萎縮していくわけです」(徳丸さん)

 その影響は、若干でも人生を選びとる可能性を持つ大人たちだけが受けるわけではない。

「萎縮していく親のもとに子どもがいて、夢や希望を奪われていくんです。人は、幸せになるために生まれてくるはずなのに」(徳丸さん)

 少子化が社会問題とされはじめてから、既に長い時間が経過している。しかし、問題にされるのは、子ども自身の人生や幸福ではなく、「社会を支える若い世代の人数が不足する」であることが多い。

「親は子どもを、社会のために産むわけではありません。社会にとって、子どもは『喜び』であるはずなんです。でも今の日本には、その純粋な喜びが……ないですね」(徳丸さん)

 では、誰が何をすれば解決できるのだろうか? そのための費用は、どうすれば確保できるのだろうか? ボランティアが活躍して解決にあたるとしても、ボランティア活動の可能な状況を維持するために、結局は費用が必要なのだ。