お客さんからこれほど感謝されて仕事ができる、という職業はほかにあるのだろうか。医師は、私にとって「天職」であるといつも信じていたい。その半面、人の命を扱うという責任の重さにどう立ち向かうべきか、という不安との戦いでもある。目の前で倒れている人を躊躇なく助けに行ける医師をも目指し、誰しもが修練しているはずだ。
「ただいま4号車でお客様が倒れられました。お客様の中でお医者さんか看護師さんがおられましたらすぐに4号車へお越しください」と東京から仙台行きの列車の車中で緊急放送が聞こえてきた。私は、11号車に乗り合わせた「通りがかりの旅行者」だが、しかし医師でもある。
自分の目の前で人が倒れたなら反射的に行動できるが、新幹線のアナウンスのように耳から入る呼び出しは大脳を介して、どう行動すべきかの判断にしばし時間がかかってしまう。以前、先輩の先生が、海外で倒れられた方に治療を施し、結果が悪く、裁判所に呼び出されたという話を聞かされたこともある。また、ゴルフ場で人が倒れ、私も現場へ駆けつけると友人のお医者さんが芝生に横たわる中年男性にマウス・ツー・マウスと心臓マッサージ施し、場内に入ってきた救急車に同乗してマッサージを続け、病院へ付いて行かれたこともあった。私ならマウス・ツー・マウスを躊躇なくできただろうか。
病院への通勤途中、交差点の交通事故。路上に自転車が倒れ、その横に頭から血を流した女子学生が倒れていた。私はブレーキを踏み、車を止め、出ようとした瞬間、後ろの車の大きなクラクションが。私は思わず車を発進させてしまっていた。一瞬の躊躇が、助けに行くことを妨げた。あの子はどうなったのだろうと思ったとき、4号車へ向かっている自分に気づいた。
前方から来た車掌に、すれちがいざま声をかけた。
「わたし、医師ですけど先ほどの放送の方は?」
「お医者さんですか。お客さまは泡を吹かれています」
「で、いまは」
「お医者さんがすぐにこられ、診ていただいています。大丈夫のようです」「何かありましたら、お呼びください」
と声をかけながら私は元の座席にもどった。「これでよかった」と一息。
医師は診療を依頼されたとき、困っている患者を目にしたとき何をすべきかの教育を受けている。だからこそ、診療できなかったときには、後になって「あの患者さんがどうなったか」が頭から離れない。
20年ほど前の勤務医時代。私は、外科のスタッフで各病棟を回った後トイレに入った。職員トイレも患者トイレも共有であった。トイレを出ようとしたとき、点滴ビンを吊った棒を片手にした若い男性が扉の前でひざを付き、あえぎ呼吸をしていた。私はその男性を抱きかかえ病室へ。そして主治医を呼んだ。この男性は二十歳前後の大学生で、肺炎で内科に入院していた。駆けつけた内科の研修医K先生が「先生ありがとうございます。後は私がやりますから」と、患者さんを寝かせ酸素マスクを装着している。肩で呼吸し、うまく空気が肺に入っていない男性を見ながら「K先生、酸素マスクではよくなりませんよ、すぐに対応しなければ大変なことになりますよ」と私。
K先生をつれて内科の詰所に入ると、すぐに看護師長がやってきた。