日本全国の神社をめぐり、尾道自由大学で毎回満員の人気講義「神社学」を教える中村真氏。しかし、神社を自身のライフスタイルに組み入れられるようになったのは、意外にも30代になってからだという。世界を巡ってたどり着いた日本や神さまへの思いとはなんだったのか。そして、7月に上梓した『日本の神さまと暮らす法』(ダイヤモンド社)に込めたメッセージを聞いた。

自分として生きられる奇跡を楽しむ!
「日本の神さまと上手に暮らす法」に込めた思い

――今回、ダイヤモンド社から「日本の神さまと暮らす法」を上梓されましたが、この本に込めた思いとはどういったものだったのでしょうか?

神社で参拝1万回「神社学」教授に聞く!(前編)<br />「日本の神さま」に出会って僕の人生は変わった

中村:多くの人が他人と比較して落ち込んだり、自分の足りない部分を見つけて苦悩したりしています。しかし、私はそうしたことに本当に落ち込む必要があるのかな、と疑問に思うのです。こうした人たちは、自分の理想に対して何が足りないかという内的要因で苦しんでいるのではなく、往々にして他人や社会と比較して自分が足りないと感じる外的要因で落ち込んでいます

 しかし、本来であれば外的要因で落ち込む必要などまったくないと私は思います。外的要因にばかり目を向けていたらいつまでたっても幸せにはなりません。「足るを知る」ということを覚えないからです。

 私は、もっと「内的要因に目を向けることで幸せになれるのでは?」というメッセージをこの本に込めました。

―ー神社はそうした自分の内的要因に目を向ける場なのでしょうか?

中村:そうです。神社は自身の心を整える場だと感じています。心というのは、価値観や自分の本当に大切にしている思いなどを指します。

 圧倒的な自然の中に立つ神社の前では、自分は本当にちっぽけな存在だと感じます。さっきまでの仕事のモヤモヤや、お金の心配などが無意味に感じられます。どんな悩みや不安だって時が解決してくれないものなどほとんどないのですから。

 であれば、自分として生きられる奇跡を思いっきり楽しんで、したいこと・すべきことを貫き通そうと思うのです。心を込めて自分の生をまっとうしようと思える場ともいえるでしょうか。

日本を飛び出し学んだ、世界の狭さと視野の狭さの違い

――周囲の目を気にしてしまう、他人と比較してしまうのは多くの人に当てはまることだと思います。中村さんはどうやってそうした気持ちから脱却できたのですか。

中村:実は私も若い頃は、他人や社会を意識してばかりいて、内的要因に目を向けることはありませんでした。時はちょうどバブル崩壊の直後。建設会社で働いていた私は、疲れ切った大人の姿にうんざりしてしまっていたのです。日本社会は狭すぎるし、画一的すぎる。そんな満たされない気持ちが高まって、ついには日本を飛び出し、24歳でブラジルに単身渡ります。しかし、実際にブラジルをメインにさまざまな海外を放浪するなかで、狭いのは日本ではなく、自分の視野だと気付いたのです。

――どんな点で視野の狭さを感じたのですか?

中村:私は、日本にいながら日本のことをまるでわかっていませんでした。目の前に見えているものしか見ていなかったというのがその原因です。いま、「日本なんてつまらない」と閉塞感を抱えている人は昔の私と同じかもしれません。

 私は世界に出て多くの人と話すなかで、自分の日本への無知さにうちのめされました。他国からの旅人は、皆自国のアイデンティティをきちんと語ることができます。しかし、私にはそれを語る言葉がありませんでした。狭い、つまらないと思っていた日本のことを実は何一つ知らなかったのです。

――他国の人との交流のなかで、印象に残っているエピソードはありますか?

神社で参拝1万回「神社学」教授に聞く!(前編)<br />「日本の神さま」に出会って僕の人生は変わった

中村:ブラジルで出会った同世代の青年が、ある時「日本はいいな。⚪⚪もできるし、××もあるし!」と日本の物質的な豊かさを羨ましがっていました。彼は貧しくて、生まれ育った街から出たこともありませんでした。私は日本を見限って飛び出してきた身ですから、「なんて薄っぺらい願望なんだ」という思いで彼の言葉を聞いていました。

 ひょんなことから、私たちは自身の夢の話になりました。私は当時から文章を書く仕事で食べていけたらよいなと思っていたので「本を出版すること」を夢として語りました。一方で彼は、「この国の熱帯雨林を復活させて、きれいな海を取り戻したい」と、とうとうと語り始めたのです。
当時、ブラジルの熱帯雨林は急速に失われていました。せきとめる木々を失ったことで、土壌が海に流出し、海洋汚染が深刻化していることが大きな問題となっていたのです。

 かなえられる・かなえられないの問題ではなくて、彼は自国の問題を正確に把握したうえで、「自分はこういう思いを持って生きていくんだ」という信念を語っていたわけです。先ほどまで、物質的な豊かさをあんなにうらやましがっていたし、実際に今日を生きるのにも必死な貧困や危険の中にいながら、彼は大きな夢を持っていたのです。

 この体験から、「世界の狭さ」と「視野の狭さ」はまったく別物だと私は学んだように思います。

日本人としての自分のアイデンティティを見つけたい

――ブラジルをはじめ、インドネシアの島々やアメリカなどさまざまな地を放浪して、どうしてまた日本に帰ってこようと思ったのですか。

中村:ブラジルでは、3歳くらいの子どもが路上で毛布一枚で生活をしていたり、贔屓にしているサッカーチームが負けたからという理由で銃を発砲して人が殺されたりしていました。そんなことを日々目の当たりにしていたら、日本でいきがっていた自分がバカバカしくなってしまったのです。日本では、外出して死ぬ危険についても、明日の食事についても心配しなくていい。つまらないヒエラルキーや他者との比較を意識するのは無意味ですよね。私は日本人というアドバンテージを最大限に活かし、もっと楽しんだ生き方をしたいなという気持ちに転換していったのです。そうしたら、日本に一刻も早く帰りたくなってしまって(笑)。

――そして、日本への思いが高まって帰国した後、神社との出会いが中村さんの人生をさらに大きく変えていくわけですね。その部分はまた次回、お話しを伺います。