>>(上)より続く
さらに、万一中国を仮想敵国と考える人が政府関係者にいるとすれば、今の中国と戦争して勝てるという発想自体がナンセンスである。今の中国は、もはや列強に敗れた清でもなく、革命で混乱した中華民国でもない。世界第2位のGDPと13億人の人口を抱える大国である。しかも毎年軍事予算を増やし続け、まともにつきあっていたら大変なことになる。この国に勝つ防衛力を確保するためには、いったいどれだけ国民生活を犠牲にしなくてはいけないだろう。いったい、いくら防衛費を増やせば、中国や北朝鮮と正面から戦える軍事力を持つことができるのだろう。
逆に考えて、「核」を持っている中国や北朝鮮に我々が怯えるあまり、条約交渉などで遅れをとっているか、と言えばどうだろう。単に英語や交渉が苦手だったり、成熟社会が故に成長が鈍化していたり、財政難やイノベーションを評価しない風潮などによって交渉の劣位に立つことはあるだろうが、それは単に外交下手なだけで、防衛力の影響は限定的なはずだ。
日本が国を守るためには、国連を中心とした国際秩序を遵守し、多国間の協調的枠組みをベースとした国際秩序を積極的に支え、活用するための外交努力をするのがベストと考える。多様な国と貿易関係を確保することで物流ルートを多角化させ、世界との接点を増やして「貧困と孤立」に陥らないようにする。
「自分の国だけが豊かならよい」という考えは捨て、環境問題や難民問題、疾病対策などの医療支援、押し付けにならない程度の途上国の民主化や教育支援など、世界の平和と安定に資する活動に国民の総意でコミットする。
優秀な若者に力を発揮してもらうために、日本の枠に閉じ込めず世界で活躍してもらう。交換留学もどんどん増やし、ビジネスパーソンや投資の交流も盛んにすべきだ。互いの文化を理解し、多様性を尊重する風潮を醸成することが大切だ。
爆弾や軍艦といったハードパワーは一見勇ましく、ソフトパワーは一見頼りないかもしれない。しかし、武力に偏っても抑止力は上がらず、ソフトパワーを強めることのほうが国を守る抑止力としては心強いのが、現実だと思う。
集団的自衛権賛成派と憲法9条擁護派
「平和ボケ」は果たしてどちらか?
武力ではなくソフトパワーによる安全保障という主張には、「平和ボケ」という批判が起きそうだ。筆者も別に、武力保持を全面否定しているわけではない。
筆者がとある「右寄り」の政治家と安保政策について議論した際、「本当に国際連合が頼りになるのか」と問い詰められたことがある。売り言葉に買い言葉的になるが、曲がりなりにも戦後70年間国際秩序を見守ってきた実績のある国連をはじめとする国際間の協調を尊重せず、米国との集団的自衛権を尊重する、というのには違和感がある。