ハーヴァード大学のニコラス・クリスタキスとジェイムズ・ファウラーは、ネットワークの観点からデータを分析し、わかったことを2008年に『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』に発表した。彼らが得た結果は衝撃だった。中小企業で働く人の同僚がタバコをやめると、その人がタバコを吸う可能性は34%低くなっていた。タバコをやめたのが友だちだと36%だ。やめたのが配偶者だと可能性は59%も低くなる。
彼らの研究は、価格の上昇やタバコが健康に与える悪影響に関する公共広告といったインセンティブが個人に与える影響を分離してはいない。しかし、どんな動機にせよ、人がタバコはやめると決心すると、その影響がその人の社会的ネットワーク――家族、友だち、職場の同僚など――を通じて他の人たちに伝播する。そうして他の人たちは模範を与えられ、それだけでタバコをやめてしまったりする。だからネットワークはインセンティブとともに機能し、インセンティブが与える当初の影響を促進し、強化することがある。
しかし、アッダとコーナグリアの研究に話を戻すと、インセンティブの変化の影響を予測するのは難しいかもしれない、ということだった。彼らの論文はいわゆる「合理的嗜癖仮説」に基づいている。重厚な数学と「2次の効用関数を仮定する」だの「2次のテイラー近似を使えば証明できる」だのといった言い回しが山ほど出てくる。
しかし、この章のはじめのほうで書いたように、合理的行動なんて仮定する必要はまったくない。彼らの研究はデータを注意深く統計的に分析しており、実証結果が示しているものは明らかだ。彼らはアメリカの全国健康・栄養調査を使った。全米にわたって約2万人の健康に関するデータベースだ。データには、吸ったタバコの本数やニコチンとタールの含有量、一酸化炭素の濃度などが含まれている。タバコの税率は州によって違うから、それを使えば税金が喫煙者の行動に与える影響を推定できる。
当局も驚きの予想外でありえない結末へ
――「危険な吸い方」の流行
アッダとコーナグリアは、税率が高くなればなるほどタバコの消費量が減るのを発見した。ここまではよかった。国民の健康を推進する政策当局にとって、まったく思った通りの結果だ。
でも、研究者2人は、税率が高くなると、喫煙者たちはタールやニコチンの1本当たりの含有量が多い銘柄に乗り換えているのにも気づいた。それ自体は画期的な発見というわけではない。しかし、同じ効果を報告していた、既存の論文2本の信憑性を高めた。税金や価格がタバコの消費量に与える影響に関しては、たくさんの論文が書かれている。でも、銘柄の乗り換えを報告した論文は2本だけだ。だから2人の論文でこの効果が確認できたことは貴重だったのだ。頭の痛い問題ではあるけれども。
2人の研究が本当に独創的だったのは、喫煙者たちがタバコ1本から摂取するニコチンが増えているのを発見した点だ。そういう行動はタバコの銘柄に関係なく見られた。喫煙者たちはタバコを根元まで吸うようになった。それではタールやニコチンの摂取量は増えてしまうし、危険な化学物質の摂取も増えてしまう。それでさらにガンが肺の奥深くへ進行する傾向があることがわかっている。
そういうわけで、たしかに税金が高くなればタバコの販売量は減る。インセンティブは思った通りの働きをする。でも同時に、喫煙者たちは、タールとニコチンが強い銘柄に乗り換え、さらに健康にいっそう悪い吸い方をすることで、本数が減った分を補っていたのだ。
次回は「成功するユーチューバーはなぜますます成功するのか」というトピックから、「正規分布」で現実世界をどこまで説明できるのか、検討します(9月9日公開予定)。