そして、「60年安保」からもう1つ教訓を挙げるとすれば、安保改定以降、93年の細川政権の登場まで、33年間に渡って、ずっと社会党が選挙で敗れ続け、議席を減らし続けたことだろう。それは、日本が高度成長期となり、社会党を支持する「労働者」が減少し、「一億総中流」の社会が出現したためである。

 その後、日本経済は「失われた20年」の長期低迷に陥ったが、いまだに社会のマジョリティは「中流」である。中流の支持を獲得することが、選挙での勝利につながる状況は変わらない。2005年の郵政解散総選挙、2009年の総選挙での民主党への政権交代、2012年総選挙でのアベノミクスの登場は、すべて中流の動きによって起こったものだ。

野党は選挙で「アベノミクス支持・デモ嫌い」な
サイレントマジョリティーの支持を得られない

 それでは、選挙の勝敗を左右するマジョリティの「中流」とはどんな人たちだろうか。それを突き詰めると、野党は全国に広がったデモの扱いに、頭を悩ますことになる。前述の世論調査で、デモに参加した人が国民全体のわずか「3.4%」だったが、筆者はこれについて実感がある。かつてサラリーマンだった頃、周りの同僚は皆、市民運動が嫌いで、デモが嫌いだったことをよく覚えているからだ。

 当時、サラリーマンからすれば、市民運動やデモは、暇な人間がやることだと思われていた。多忙な人や、経営が大変な中小企業の人ほど、こういう運動が嫌いだった。昔、たくさんそういう人たちに会った。今も、それほど変わらないだろう。そして、この人たちこそが、「中流」であり、日本のサイレントマジョリティなのである。

 この人たちこそ、アベノミクスを「野党よりまだマシ」と考える人たちでもある。彼らは、市民運動側からすれば「政治意識が低い」人たちとされがちだ。だが、むしろ市民運動側よりも切実な問題意識を持っている人たちだ。食べていくため、家族を養うため、非常に現実的に社会を見ている。この人たちの票を動かさない限り、安倍政権を倒すことはできないのだ。筆者はアベノミクスを評価しない。だが、アベノミクスがサイレントマジョリティの切なる心を鷲掴みしたことは、認めざるを得ないのである(第75回)。

 そして、このサイレントマジョリティは、デモが広がれば広がるほど、「俺らはそんなに暇じゃない」と、シラけてしまうのだ。デモは、彼らに不快感を与えているのである。安保法制反対派は、サイレントマジョリティの票を、どうやって取っていこうとするのだろうか。戦略はおそらくないであろう。民主党や維新の党の政治家は、選挙が近づくにつれ、事態の深刻さに気づいていくことになる。だが、その時にデモがお化けのように肥大化していて、全くコントロール不能になったら、どうするのだろう。

 結局、次の国政選挙で、共産党が議席数を増やして喜び、他の野党は壊滅することになるのを、筆者は非常に恐れるのである。この論考は、今、頭に血が上っている反対派にとって、非常に不快なものだろう。だが、筆者は「安倍政権による安保法制の実現」に反対の立場だからこそ、これからの「本当の闘い」のために、あえて言いにくいことを強く訴えておきたいのだ。