政治の派閥争いは日々報道されている。単に政党やグループだけでなく、誰と誰が接近したとか喧嘩したとか。しかも世界中で。これは人類永遠のテーマなのだろうと思える。
人間がいるところにはたいてい派閥ができてしまう。同じような意見や考え方を持つ人間は集まりやすいものだ。
会社や学校でもそうだ。「派閥」のようなものはどこにでもある。それはそれでいいことも多い。問題は「派閥争い」である。なぜか派閥は、その所属する人間が増えると「争い」を始めやすい。
対立する派閥はどうでもいいことに腹を立て、その原因を派閥内で共有しようとする。人間が集まれば、少なからず悪口は発生し、厄介なことにそれを共有すると結束が高まりやすい。
女性の派閥づくりには悪口が強い力を発揮することが多い。「何もしていないのにかわいがられている」「男の人の前で声が変わる」「付き合いが悪い」「すぐ嘘をつく」「変なニオイがする」……。この手の話はどこででも語られている。「争い」には発展しないが、火種はあちこちであがっている。その火種は結果としてその対象を排除し、人間のつきあいの範囲を狭いものにする。派閥ばかり意識していると結局まわりにいる人間が減る。
美人はこういった悪口との関わり方が上手だ。言わなくていい悪口は言わない。「争い」を起こそうとしたり、意味なく対抗心を燃やしたりすることが好きではないようだ。悪口を言う人の顔は美しさから遠ざかろうとしているように見えることが多い。
人間同士の距離の持ち方がうまい。その距離のとり方が「美人のもと」を増やすように思える。その距離はちょっと苦手な人のいいところを見つける機会となったり、聞こえてくる悪口の中にいい話を見つけるきっかけとなったりする。
美人は他人を褒める話が多い。いい話なのだ。当然その表情は美しくなり、聞いていてとても心地いい。いい話は語る人を裏切らないのではないか。