日本の食と農業のあり方を問う『黙示』(新潮文庫)が社会派エンタテインメントとして読者をぐいぐい引き込む面白さの秘密は“視点”にあった! 同書文庫化の記念として2015年9月9日にジュンク堂書店池袋本店で開催されたトークセッションの一部を編集してお送りします。(聞き手:新潮文庫編集部の菊池亮さん)

−−−『黙示』では、違う立場にある登場人物たちが悩みつつも答えを探そうとする姿が描かれています。農薬開発者の平井宣顕、元戦場カメラマンで養蜂家の代田悠介、そして農水官僚の秋田一恵ら、それぞれの立場からみた理想と現実、葛藤や“危険な正義”が交錯します。どの登場人物も悩みに悩む−−そういうリアルさが、この小説のひとつの特徴ですね。

黙示』あらすじ:農薬散布中のラジコンヘリが小学生の集団に墜落する事故が発生。重い中毒症状に苦しむ子どもたちを目の当たりにした世論は、農薬の是非のはざまで揺れる。その間隙を縫い、農薬を必要としない遺伝子組み換え食品を推進するアメリカの巨大企業と、日本の食品の買い占めを目論む中国が動き出す。私たちは何を選び、何を捨てるのか。日本の食のあり方を厳しく問う社会派メガ・エンタテインメント!  (新潮社 750円税別)

真山仁さん(以下、真山) そうですね。敢えて立場や考え方の異なる人たちを登場させ、価値観が違えば“正義”も変わることを訴えたかった。そもそも自分と意見の違う人とは距離を置くことが多い。向き合って話をするのはあまり楽しいものではありません。しかし、避けるだけでは済まないこともある。嫌だと思っても、きちんとコミュニケーションをとり、お互いの意見を出し合って議論しないと、自分の考えと異なる主張の本質を理解することはできません。ただし、表に出る言葉や態度だけで相手を理解するには限界があります。

−−−確かに。自分に分かるのは実際のところ、自分の気持ちだけですね。

真山 小説のいいところは、登場人物の心の内側も表出できることです。少し技術的な話になりますが、小説では“視点”を持つ登場人物を複数設定することで、読者に考え方や立場の違う人の視点をいくつも提示することができます。

−−−“視点”ですか。

真山 “視点”をもつ登場人物は、ストーリーの語り手になるだけでなく、心の中もさらけ出します。会話している内容とは正反対のことを考えていることも、読者にはわかる。『黙示』の場合は、養蜂家と農薬開発者、農水官僚の3人が議論するシーンがありますが、そのときそれぞれの視点に切り替えています。すると、食の安全や農業の将来、さらにどうやって科学を進化させるのか、といった問題に対して、登場人物ごとに価値観がみな違っていることが露わになります。

 たとえば、自分が開発した農薬の事故によって息子が死にかけていてもその農薬を使うべきだという自説を曲げない研究者の平井と、農薬によって飼っていたハチが全部死んでしまって子どもたちにも絶対に悪影響があるという信念を曲げない養蜂家の代田という価値観の異なるふたりが議論する場面があるのですが、双方の視点を交互に出すことで、読者は否が応でも両方の言い分がよくわかると思うんです。確かにこの人の言うことにも一理あるよね、と。

−−−小説を通じて、価値観が違う人の意見について考えさせられますね。

真山 自分と意見を異にする人たちともしっかりコミュニケーションしないと、物事を偏った目で見ることになってしまう。自分と違う価値観がいろいろあって、それらは実はシンプルじゃないということに気づいてもらうのは、小説の1番得意とするところです。

 『黙示』は農薬や食の安全をフックに描いていますが、テーマが何であれ同じです。原発の廃止と再稼働や安全保障関連法案の是非といった社会のありとあらゆる問題について、先入観ぬきに自分と違う意見の人たちと議論して本当にどうすればいいのか考えていく必要がある。私は、皆がこのまま一方的に自分が信じる正義を訴えるばかりでいると、この国はまるごと沈んでしまうのではないかという危機感を持っていて、それを考えるきっかけになればと小説を書いています。

 たとえば反原発の人も、部屋の電気がチカチカ消えかかったり、停電によって電車が止まったりしたら不便さに不満を抱くでしょう。なのに、原発だけはやめて!と訴えます。従来使っていた電力量すべてを自然エネルギーでまかなえないのは明らかなのに、そのバックアップ電源の確保やコストの問題も含めてすべては電力会社任せです。自分の言うことは正しいという思い込みで思考停止してしまっている。3.11(東日本大震災)以降、特に安易に白黒をつけて声高に正しさを主張する人が増えました。多くは誰かが“正しい”と言っていることを鵜呑みにしています。そうではなく、反対の意見にも耳を傾け、“正しさ”を疑ってみることが必要ではないでしょうか。