海外進出や輸出、そしてインバウンドブームなど、海外との接点がますます増える時代。ただし、単に英語ができるだけでは、とうてい太刀打ちはできない。80年代から海外進出をしてきた吉野家の安部修仁会長に、海外ビジネスの心構えを語ってもらった。(構成/フリージャーナリスト・室谷明津子)
先人が築いた
信頼の厚さを感じた
私が台湾で吉野家のアジア1号店の創業に汗をかいていた1980年代、日本の外食産業のアジア進出は極めてまれでした。モデルとなる事例がほとんどないうえに、吉野家の名前はもちろん、「牛丼」というメニュー自体が全く知られていない。
そんな中で一から店を作り、今では吉野家はアジアに540店舗を構えています。牛丼は「ビーフボウル」として各国で愛され、「うちの地域にも早く出店してほしい」という要望もいただくようになりました。
もちろん、最初からうまくいったわけではありません。数多くの失敗を経験しながら学んだ私なりの海外ビジネスの要諦を、皆さんにできる限りお伝えしましょう。
進出当時、アジアの人々にとって日本製品は「高級で手が届かないもの」でした。吉野家は日本と同じように「うまい、やすい、はやい」を海外に持っていき、また現地の食文化に合わせてメニューを開発しました。80~90年代にかけて台湾をはじめ、香港、北京で開店した店舗では、吉野家は味が良く、しかも価格が庶民的だといってすぐに評判になりました。
なぜアジアの人々が開店当初から吉野家を信頼してくれたのか。それは先に進出していたメーカーや建築・土木関係の方々が下地を作ってくれたからです。日本企業は納期や工程を必ず守る。品質のレベルが安定的に高い。海外に出てみるとすぐに分かると思いますが、日本企業はこの2つにおいて突出しています。正直に言って、先進国であっても日本ほど約束をまじめに守る企業が多い国はない(笑)。
「日本企業は信頼できる」「日本が作る製品は質がいいからお金があれば買いたい」というアジアの人々の肯定的なイメージは、後発組であるわれわれ外食産業にとって、大きなアドバンテージとなりました。海外における日本企業への信頼はいまも変わらず厚く、これから進出する企業にとってもやはり強みとなるはずです。私が海外ビジネスの前線にいたときは、時間をかけて築かれたブランドの上にわれわれがいるということ、その信頼に応えなくてはいけないということを、折に触れて感じましたね。