自意識と承認欲求が
肥大化した果てに……

素人の写真を「キャラ濃い」と押し付けられても…

 最近、Twitterを眺めていたら、ある興味深いツイートが流れてきた。「キャラ濃い問題」と題された、漫画家・イラストレーターの「凸ノ」さんによる投稿である。まずは、ハフィントンポストにも取り上げられた「凸ノ」さんのツイートを見ていただきたい。

 「このメンツ、キャラ濃いわー」は、ちっとも濃くない。死んだ祖母が語る」

 どこにでもいる、ちっともキャラが濃くない同期のメンバーをあたかも特別な存在のように紹介するツイート。それに対して、「いっこもキャラ濃くないわ。普通じゃボケ」と腐した内容だ。確かに、「キャラ濃い」で検索してみると、「凸ノ」さんがツッコミを入れたような投稿はTwitterにたくさんある。そのほとんどが、はたから見るとまったくキャラが濃いように思えない。せいぜい、宴会でちょっとしたコスプレをしている程度である。それはキャラが濃いのではなく、ただのお調子者だ。それこそ、そのへんにごまんといる。

 この「キャラ濃い問題」は、TBSラジオ「東京ポッド許可局」で指摘されている「オンリーワン問題」と通じるところがある。同番組では自分の存在をことさら特別視する考え方を「オンリーワン思想」と呼んでおり、J-POPの歌詞にも同じ傾向があるとしている。

「オンリーワンであることは当たり前であり、それをわざわざ発信する表現姿勢」について、「ワンオブゼムの謙虚さを持つべきだ」と。同番組に出演するサンキュータツオ氏は、こうした「主人公感の押し付け」に対して、「自意識肥大を感じる」と感想を話す。

 SNSが普及した現在は、自意識と承認欲求による「オンリーワン思想」が蔓延している。大いなる“儀礼的無関心”を発動してスルーしようとしても、どうしても目に入ってきてしまうから厄介だ。なぜ、筆者がこうした現象を「面倒くさい」と思ってしまうのかというと、やはりそれはどことなく“押し付けがましさ”を感じてしまうからである。「主人公感の押し付け」を筆者なりに言い換えるならば、「文脈と関係性の押し付け」ということになるだろうか。