浅川学園から歩いて五分くらいのところに、「浅川学園前」というモノレールの駅がある。そこからモノレールに乗って南へ向かうと、丘陵が連なる地帯へと分け入っていく。丘の谷間を縫うようにして登っていくと、七分でグラウンド近くの駅に出る。駅からグラウンドまでは三分くらいだ。
 二人は一五分ほどでグラウンドに着いた。すると、その入り口の金属製のドアのところに一人の男子生徒が立っていた。
「マネージャー!」
 そう言って真実が手を振った。すると、その男子生徒ははにかんだ笑顔でこう言った。
「そう呼ぶの、やめてよ。なんだかくすぐったいや」
「だってマネージャーじゃないですか」
「いや、できれば普通に名前で呼んで」
「じゃあ、富樫(とがし)さん?」
「『公平』でいいよ。みんなそう呼ぶから」
「分かりました。公平さん、こちら中学からの友だちで、岡野夢さんです」
「こ、こんにちは……」
 と、夢はぎこちなく挨拶した。人見知りなので、初対面の人は苦手なのだ。
「夢、こちら、野球部マネージャーの富樫公平さん」
「公平です。よろしくお願いします」
 それで夢は、驚いた顔になって言った。
「野球部って、ほんとにあったんですね!」
 すると公平は、再びはにかんだ顔になってこう答えた。
「うん。といっても、部員はまだぼくと児玉さんの二人しかいないけど。野球部そのものも、今年の四月に再スタートしたばかりなんだ」
 富樫公平は、浅川学園の三年生だった。昨年まではどの部にも所属していなかったが、ふとしたきっかけから野球部に興味を抱いた。それは、配属されてきた教育実習生から『もしドラ』の話を聞いたからだ。
 その教育実習生は、高校時代、二〇世紀を代表する哲人といわれたピーター・F・ドラッカーの著作である『マネジメント』を参考に、所属していた都立程久保高校野球部を甲子園初出場に導いたマネージャーの一人──つまり北条文乃だった。彼女が、ドラッカーのことや『マネジメント』のことを、教育実習生時代にあれこれと教えてくれたのだ。それに興味を覚えた公平は、自分も野球部のマネージャーをしてみたいと考えるようになった。
 しかし、浅川学園には野球部がなかった。ところが、よくよく調べてみると、ないわけではなく、かなり昔に休部になっていることが分かった。
 そこで公平は、学校に掛け合って野球部の活動再開を申請した。しかしこのときは、「指導を担当する教員がいない」との理由ですげなく断られてしまう。
 しかし公平は諦めなかった。野球部の再生に向け、その後もさまざまな形で学校に働きかけた。
 すると、今年の四月になってようやく活動再開の許可が下りた。その際、指導教員には正式に教師として赴任してきた文乃が当たることとなった。
 そうして浅川学園野球部は、部員は公平一人しかいなかったものの、再スタートを切ったのである。
「それを聞いて、私も興味を持ったの──」と真実が言った。「だから、公平さんにお願いして野球部に入れてもらうことにしたんだ」
「いやあ、新入部員はいつでも大歓迎だよ」
 それに対して、夢が言った。
「じゃあ、部員は公平さんと真実だけなんですね。真実は、野球部のことをどこで知ったの?」
「文乃先生から聞いたんだ」
「でも、文乃先生って、私たちと接点なくない? 受け持つ学年も違うし」
「うん。だから、私から訪ねていったの。面白そうな人だなって」
「面白そうって?」
「だって、入学式の挨拶であんなにおどおどするなんて、珍しくない? 何か聞かれると、必ず『え、あ、はい』って答えるし。去年の実習のとき、今の三年生から『エアーハイ』ってあだ名をつけられたらしいよ」
「なるほど──」
 それを聞いて、夢は思い出した。真実は、変わった個性の持ち主が好きなのだ。特に、コミュニケーションの苦手な人が好きだった。
 夢と友だちになってくれたのも、おそらくそれが理由だった。ほとんど誰とも口をきいたことがなかった夢に、興味を抱いたのだ。はっきりと言われたわけではなかったが、夢はうすうすそのことに気づいていた。
「というわけで、今日から私も野球部のマネージャーをすることになったんだけど……どう?」
 そう尋ねた真実に対し、夢は素直に答えた。
「いいと思うよ。真実に合ってる。応援するよ」
 すると真実は、眉をひそめてこう言った。
「いや、そうじゃなく……」
「え?」
「夢も、一緒にどう?──ってこと。私たちと一緒に、マネージャーをやってみない?」
「ええっ!」(つづく)

(第4回は12月10日公開予定です)