「考える」を学校でどう教えるか

【藤原】ケーキぐらいの話だったらいいんですけど、同じことが実は学校の教育でも起こっているんです。

昔は「できない子」「標準偏差の普通の子」「できる子」に分かれていて、真ん中辺の子が一番多かった。だから、先生はその真ん中の7割の層に向けて一斉授業をやっていればよかったんです。

でもいまは山が1つではなく2つになっちゃっている。つまり、「平均に満たない子」と「平均以上の子」に二極化して「フタコブラクダしてるわけ。にもかかわらず、学校の先生はいまだに「真ん中あたり」のレベルに合わせて授業をやってるから、誰のためにもならない中途半端な授業になっちゃっている可能性も高いんですよ。

「700個のケーキ」を「800人の避難民」に届ける方法を考える

【津田】誰も救えないですもんね。

【藤原】そう。標準以下のあぶれてる子にとってみれば虐待だし、標準以上の成績優秀な人からするとネグレクト状態です。学校教育でさえも、「考える」側に移行せざるを得なくなっている。

だからこそ、この「考える」方法論をもっと教えていかなきゃいけないんですよ。ところが学校の先生は、「『学ぶ』をそそぎ込んでいくとコップから水があふれるようにある日突然『考える』が現れる」みたいな勘違いをしている。

【津田】学ぶから考えるへのシフトが勝手に起こる、というようなイメージですね。

【藤原】そう。だから、相変わらずワーッと詰め込んでいくスタイルなんです。でも、食べ物を詰め込めば無限に消化されて体が強くなるのかというと、そうじゃないですよね。そんなことしたら吐いちゃうだろうし、消化に強い内臓を作るためにはカラダを鍛えなきゃいけない。そういう意味で、「考える」っていうことは、やっぱり別立てで教えないと

【津田】ええ。絶対そうだと思います。

[第3回に続く]

▼前回の連載はこちら▼
本当の頭のよさは「健全な腹黒さ」と「遊び」から生まれる
藤原和博 × 津田久資「思考・読書」対談!!(第1/3回)

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