介護保険は「卒業」させるものではない

 その中で、厚労省から称賛されている自治体が埼玉県和光市である。

 地域包括支援センターが作る要支援者向けのケアプランを保健福祉部長が自ら先頭に立って点検し、指示を飛ばす。きめ細かなプランの作成に全市を挙げて取り組んでいる。

「介護予防」に力を入れて取り組んでおり、23種類もの介護予防プログラムを実施してきた。トレーニング機器を使った運動や口腔ケア、栄養指導などだ。

 こうした結果、要支援者の人数が激減していった。2013年度の要支援認定率はわずか9.6%となっている。埼玉県全体では13.7%で、全国では17.6%である。和光市は際立って低い。他地域では要支援認定レベルの人でも、同市では「自立」へ向かわせる様々な手立てが成果を挙げ、認定者を減らしたわけだ。

 この事実を成果として強調し、同市では介護保険を「卒業」させるシステムと誇る。同市のこうした仕組みを紹介した本は、保健福祉部長が監修して「埼玉・和光市の高齢者が介護保険を“卒業”できる理由」(メディカ出版)と銘打っている。果たして、介護保険は「卒業」するものだろうか。

 60歳代、70歳代の軽度の高齢者が運動などで心身の機能を活性化することにより、引きこもり状態から脱して、要介護認定のレベルが良くなることはあるだろう。一時的に介護保険から「離脱」することは十分想定される。

 だが、後期高齢者になると心身の状態がままならなくなるのが自然である。前日まで元気で、翌朝旅立っていたというようなピンピンコロリ現象は極めて稀だ。老人にとって全身の細胞劣化は避けられようがない。その衰えた機能を、社会的なシステムで支えられながら日常生活を送るのが大多数の高齢者であろう。

 その社会システムこそが介護保険制度である。「卒業」すべきものではない。「卒業」とは、「一つの業を終えること」であり、「ある段階を通り越すこと」(いずれも広辞苑)。学校を卒業するのは、履修を終えて戻って来ないことだ。

 心身が衰弱した段階になれば、家庭状況もあるが、介護保険を必要とする高齢者は必ず存在する。それを、いったん要介護認定から外れれば、もう戻らないでほしいと言わんばかりの「卒業」を使うのは疑問だろう。「卒業」と言う用語で要介護者を追い返しかねない。制度の根幹が揺らいでしまう。

「卒業」して、利用すべきものではないのが制度の本旨なら、なぜ保険料を毎月支払わねばならないのか。利用者が増えれば、当然、保険料が上がっていく、即ち利用者に跳ね返っていく。それが保険制度である。ハードルを高めて利用者を絞り込むような制度ではないはずだ。まして「卒業」する制度ではない。

 厚労省が和光市の「奮闘」ぶりを高評価し、多くの自治体が先駆的な試みとして同様な仕組みを取り入れる動きが広がろうとしている。その指標として、地域住民の要介護認定率が、全国や当該府県の平均に比べてどれだけ低いかが挙げられる。

「介護予防」の成功事例として、厚労省は和光市のほかに大阪府大東市や岡山県総社市を褒め称えている。大東市の要介護認定率は2012年に16.7%と大阪府の19.7%を下回り、総社市も18.6%で岡山県の20.3%より低い。いずれも介護保険「卒業」者が多いためだ。認定率が下がれば、介護サービス費が少なくなり、制度の持続性はより安定に向かうという「近視眼的」発想が根底にありそうだ。