その中で、はるか以前から学歴システムがあり、ルートに乗って上がってきた彼らに、それを壊す理由もないし、力もありません。それを踏まえると、学歴は、改革をしないための『逃げ道』としても使いやすいと言えます。会長や相談役、他の役員などに、東大卒、京大卒が並ぶ中、自らの出身母体に弓をひく悪者にはなりたくないのでしょう。オーナー経営者のように事業をつくる人と、サラリーマン経営者として経営をする人は別なのです。今の体制を継続することが、サラリーマン経営者にとって都合がいいのです」

「学歴病」発生のベースにある
企業自身が大学教育を信用しない矛盾

 いかがだろうか。筆者が林氏と話していて感じたことは、実力主義と思われる会社にも学歴主義と思われる会社にも、異なる形で「学歴病」が発生する土壌があることだ。前者は学歴重視ではないからこそ高学歴者が不満を感じる可能性があり、後者は学歴重視だからこそ仕事の実績で差がつかないことに対して、社員が不満を抱く可能性があるわけだ。

 そう考えると、むしろ学歴病の行き着くところは企業の問題よりも、大学のあり方になるのだと思う。大学が(それ以前の高校までの教育を含め)、社会で通用する実践的な能力を育てる場に変わらない限り、企業の人事体制も変わらないと思えるのだ。少なくとも、B氏のケースのような大企業では、内部から体制を変えることは絶望的と言えるほどに難しい。

 林氏もこう指摘する。

「『学歴病』なんて言われることなく、その社員が母校の名に恥じない実績を残し、活躍すると、『大学教育は素晴らしい!』『学歴は確かに意味がある!』と認められるようになるのです。そういう人は確かにいますが、企業社会には少ないのではないでしょうか。学歴病を治していくためには、大学教育を変えることが1つの解になるのではないかと、私は思います」

 ここからは、筆者の考えである。東大出身者が会社に入り、本当に優秀で高い実績を残したのであれば、早くから幹部になればいいのである。いや、するべきなのだ。30歳で大企業の役員になっても、何ら問題はない。そして本来の意味で「東大はやはり素晴らしい」となるべきなのである。