多くの人は、プレゼンをビジネス・スキルと認識しています。私自身、ビジネスで必要だったからプレゼン・スキルを磨いてきました。『社内プレゼンの資料作成術』と『社外プレゼンの資料作成術』も、ビジネスパーソンのために書いたものです。しかし、プレゼンはビジネスを超えて、人生を豊かにするツールだと確信しています。それを教えてくれたのは、乳がんを患ったことをきっかけに、私のプレゼン・スクールに通い始めたひとりの女性。彼女のエピソードをご紹介しながら、プレゼンがもつ「本当のパワー」をお伝えしたいと思います。(構成:田中裕子)
プレゼンは人生を豊かにするツール
乳がん宣告、右乳房の全摘出……。
私が主催するプレゼン・スクールの生徒である木全裕子(きまたゆうこ)さんは、がんサバイバー。名古屋に本社を構える鳴海製陶株式会社で働きながら、乳がん体験者の会「PiF(ぴふ)」を立ち上げて、かつての自分と同じように乳がん宣告後の不安に苦しむ女性をサポートする活動を展開しています。そして、ひとりでも多くの女性に「PiF」の存在を知ってもらうために、プレゼン・スキルを磨くべく、私のスクールに申し込んでくださったのです。
当初、木全さんのプレゼン資料は文字が主体で、少し「伝わりにくい」ものでした。
しかし、私が『社外プレゼンの資料作成術』(ダイヤモンド社)でまとめたノウハウをどんどん吸収。みるみるうちに上達していきました。そして、シンプルでムダがなく、聞く人の心に響くプレゼン資料が完成。名古屋を中心に全国でプレゼン活動を展開して、「もしも乳がんに罹ったら……と不安でしたが、何かあったらPiFに連絡すれば安心だと思った」などの感想が多数寄せられています。
また、プレゼンがきっかけで、地元テレビ局による密着取材も実現。「ガンに罹っても、仕事を辞める必要はない」というメッセージを打ち出す特集が放映され、大きな反響を呼びました。こうして、プレゼンというツールを得た木全さんは、PiFを通じて多くの女性をサポートする充実した毎日を送っています。
「乳がんに罹ったときは、本当につらかったですが、そのつらい経験が、私に“役割”を与えてくれたのかもしれないですね。こうして、多くの女性をサポートすることで、生きがいを与えていただいていることに感謝の気持ちでいっぱいです。そして、多くの女性と支え合う関係を築くうえで、プレゼン・スキルは欠かせないもの。私にとって、プレゼンは人生を豊かにするツールなんです」
社内プレゼンで新規事業の承認を得る
そのプレゼン・スキルが仕事にも生かされました。
2015年に鳴海製陶の社長に就任した藤江憲(ふじえけん)さんが、「夢の予算」という新しいしくみを発案。社長と役員会に対するプレゼンが承認されれば、その事業に予算をつけるという、新規事業提案制度でした。そのニュースを耳にした木全さんは、すぐに準備を開始。以前から、新規事業のプランをずっと温めていたのです。
「鳴海製陶の高級食器“NARUMI”にはさまざまな定番の絵柄があります。対価をいただきながら、この絵柄を他の商品に開放するビジネスです。食器の周辺商品とのコラボレーションを進めることで、お客様により豊かな時を実現していただけるはずです。ずっと温めていたこのアイデアを実現するチャンスですから、早速プレゼン資料の作成に取り掛かりました。『いいもの いつも いつまでも』を実現するためのプレゼンです」
このときは、私が『社内プレゼンの資料作成術』(ダイヤモンド社)でまとめたノウハウを活用。決裁者が一目で理解できるようなシンプルなグラフになっているか。色使いや文字のサイズは適切か。くどくど説明しなくても理解できるように、コンテンツを絞りこめているか……。細部にこだわりながら、昼夜、業務の合間を縫って資料を磨いていったそうです。
そして、この作業を進めるなかで、あることに気づいたと言います。
「どうすれば伝わるだろうか? この提案は本当にお客様のためになるだろうか? 資料をつくりながら、何度も何度も提案内容を確認するなかで、“心の底からやりたい仕事”“うまくいくという自信”“会社のために、お客様のために、絶対にやるべき仕事”という思いが強くなっていったのです。プレゼン資料をまとめるのは、事業に込める思いを固めることでもあると気づいたんです」
そして、社長に1対1でプレゼン。スライドを示しながら、自信をもってプレゼンできたといいます。社長からも好反応が返ってきました。
「すごくいいよ。プレゼンもわかりやすかった。木全さんが思うとおり進めていいから、ぜひやってみよう」
なんと、一発OKを勝ち取ったのです。
すぐに、新規事業立ち上げに向けた忙しい日々が始まりました。新事業への専任も打診されましたが、「現場の感覚を失いたくない」と、営業との兼務を希望。名古屋本社から東京オフィスへの異動も打診されましたが、PiFの活動と定期診察を優先。名古屋での勤務を申し出ました。新規事業への挑戦とPiFの活動を両立させる道を選択したのです。
控え目な性格はそのままに、しっかりとした自分の意見をもって、それを実現していく。そんな木全さんの頼もしい姿に、私は目を見張る思いです。木全さんは、プレゼンについて、このように語ります。
「営業担当なのにしゃべり下手だった私は、ずっと自信をもてずにいました。だけど、プレゼン・スキルを身につけることで、少しずつ自信がついてきました。相手が社長でも堂々と意見を言えるようになったし、PiFでたくさんの人を前に話すときも落ち着いていられるようになりました。大げさかもしれませんが、“私って存在してもいいんだ”って思えるようになったような気がするんです。それくらい、大きな変化が自分のなかで起こりました。思いを深堀りして、かたちにして、伝える。その作業を通して、自分に変化を生み出すのがプレゼンの本質ではないかと感じています」
プレゼンで大切なのは、テクニックではなく思い
プレゼンで大切なのは、テクニックではなくて思い――。
私は、木全さんがプレゼンする姿を見つめていて、いつもそう思います。
たしかに、私はプレゼン・スクールで木全さんにプレゼン・テクニックを伝授してきました。そして、彼女のプレゼン資料には、そのテクニックが存分に生かされています。しかし、それも、彼女のなかに「伝えたい思い」があるからこそ生きるのだと思います。
木全さんは、乳がんを克服したとき、「自分の人生で何がいちばん大切なのか」と自問自答したそうです。それまでの人生での喜びや悲しみを振り返りつつ、これから何を大切に生きていこうかと考えたのです。そして、彼女が出した答えは「人とのつながり」。それこそが、自分にとっていちばん大切なものだと気づいたと言います。
「営業でも、自分のノルマや売上数字を達成するという目標だけだと、モチベーションが保てなかったんですよね。心から“お客様のため”と思えるからこそ踏ん張れる。そして、そう思って動けば、お客様も“人と人”として接してくれるんです。営業ウーマンとしてではなく人として信頼してもらえたら、やっぱり嬉しい。それに、そういう関係が築けたら、ノルマを意識しなくても、自然と売上も増えていったんです。乳がんを経験して、そんな“人とのつながり”をもっと広くもっと深くつくっていきたいって思うようになりました。私にとって、プレゼンは、そんな関係性を生み出すためのツールなんです」
「人とのつながりこそが、いちばん大切なもの」
その木全さんの思いは、鳴海製陶での仕事でも、PiFの活動でも一貫しています。だからこそ、彼女のプレゼンには、人の心を動かす力がこもるのでしょう。そして、そんなプレゼンができる人は、どんどん人生を豊かにすることができるのではないでしょうか。
「木全さんにとって、乳がんの経験とは?」
私が尋ねると、笑顔でこう答えてくれました。
「大切な贈り物ですね。がんの手術を受けてから、いろいろな人に“木全さん、変わったね”と言われます。いろいろなことにチャレンジするようになったし、目の前にいる人と過ごす“今”を大事にしよう、やりたいことは“今”やろう、と考えるようになりました。考え方も、働き方も、生き方すらも変わった。まさに人生のターニングポイントであり、私にとって乳がんは大切な贈り物でした。これからの人生、どんどん面白くなりそうです」(おわり)