また、翻訳対象のどの部分を選んでどれを落とすか、どの単語は訳して何は飛ばすかで随分内容が変わります。その際、「編集権」を過大に使っているのではないかという事例もよく見かけます。見出しがオリジナルなものと全く違うものになっている、英語のパラグラフのど真ん中で文章を切って一塊だった思考の塊を分けてしまっていることもあります。

 再び映画の例を持ち出すと、日本語のタイトルとオリジナルのタイトルを見比べて唖然とする例は枚挙にいとまがありません。これはもはや編集権の乱用を超えた日本の「陋習」とも言える、と日頃思っています。

「翻訳だから日本風になっている」と予め考えて注意して読む必要は、特に外交問題などの記事では大きいと言えます。地名の呼称は翻訳では日本のポジションになっていて、外国語の記事のオリジナルとはニュアンスが違います。翻訳によって生じる「ずれ」によって理解を間違わないように、学生には、ゆっくりでも、量を読めなくても、外国語の記事は外国語のまま読むことを勧めています。

ビジネスパーソンが意識すべき
異なる文化とのコミュニケーション

 日本は島国で、独自の言葉を使っています。人口が1億2000万人もいるので、このグローバルな時代においても日本語だけで十分に暮らしていけます。欧州の小国の人たちと大きく違う点です。世界との関係で、我々日本人は翻訳に依存してよいという「ぜいたく」に浸ることができます。日本語だけの世界を持つことで、独自の文化を維持できるという利点もあるでしょう。

 しかし他方で、翻訳による時間や内容の「ずれ」を明確に認識しないことは、刻々と変化し、かつ様々な言語や文化があるという世界の実相から、我々の目を遠ざける可能性も生みます。本稿で述べたように、言語が違えば認識方法が異なり、問題の存在や捉え方が大きく違ってきます。自らの認識を自明のものと捉えず、異なる世界の切り分け方(認識)を尊重することによって、初めて普遍的なコミュニケーションがうまくいきます。

 特にビジネスをする人たちにとっては、今後、異なる文化とのコミュニケーションがますます重要になります。こう考えてくると、やはり英語の記事をオリジナルで読むことを心がけるべきでしょう。「日本語をおろそかにするのか」といった議論になりがちですが、幼児期と違って「英語も日本語もどちらもわかるようになることはいいことだ」とゆったり構えればよいようにも思います。

 特に若い人たちは、ITにも強く、世界の情報を瞬時に手に入れる術を知っています。彼らは栄養もよく、前世代よりもずっと頭がいいと聞きました。これで英語もできれば「鬼に金棒」でしょう。