うれしいことがあると人は喜び、そして他人にも話したくなる。自分の中にしまっておけない。ついつい喜びを表現したくなる。
とてもうれしいと自然と手が上に伸びたり、はねたりする。なぜか天を目指す。そして喜びの声をあげる。
喜んでいる人を見るとついついこちらも幸せな気持になる。祝福の気持がわいてくる。人がつくったドラマでもハッピーエンドであるとやはりうれしい。そういううれしさに素直でありたい。
美人は祝福がうまい。他人の喜びを自分のことのように喜んでくれる。だからいいことがあると話したくなる相手は美人であることが多い。美人はおめでたい場が似合う。結婚式や祝賀会などによく招待される。他人の幸せを大きくしてくれるのだ。
人が喜ぶ表情は見ていて幸せになるし、実際美しくかわいい。その時間こそが「美人のもと」になるのではないか。美人は辛い時でも小さな喜びを見つけ、笑顔の時間をつくろうとする。辛いことを幸せに変えていく喜びを知っている。だから、他人の喜びの気持がよくわかって自分の喜びのように感じられ、他人の喜びも自らの「美人のもと」にしていく力を持っているように思う。他人の幸せに敬意を払えるということだ。
「おめでとう」「よかったね」といった祝福の言葉が自然と出てきて、その瞬間の笑顔が最高に美しく、言われた方も本当によかったと喜びが膨らんでいく。
一方、他人が喜んでいるのに「私なんか」とすねてしまったり、恨めしそうな顔をしたり、喜びに水を差す表情をしてしまう人も少なくない。自ら喜びをつくる努力をしない人だ。幸せをつくる喜びを知らない。不幸をすべて他人のせいにする。だから他人の幸せを称える気持がわかない。そして「おめでとう」がうまく言えない。他人の幸せに素直になれないのだ。そして言わなくていいのに、その場にあまり関係のない自慢話を始める。場がしらける。その自慢顔は「美人のもと」を減らしていく。
祝福の気持は「美人のもと」をつくる。そしてその祝福の気持を育てるのは「幸せは自分でつくるのだ」という意識なのではないだろうか。