仮説2.インセンティブの劣化

 しかし、たとえば、あの三菱重工の造船所(長崎)の現場に、仮に労働者の中に不慣れな者や外国人が多いとしても、サボったり、タバコの吸い殻を捨てたりする者がいるような状況を、かつてなら許しただろうか。それらは、「悪い」上に「恥ずかしいことだ」として、職場の地位に関係なく非難する者が現れて、駆逐されていたのではなかろうか。

 また、大手商社にあって、例えば経営企画職の社員や、IR(インベスターズ・リレーションズ)の担当者であっても、資源価格の明白な下落に対して、減損処理発生の可能性を市場(株主と投資家)に伝えるべきだと、自分の職の問題だとしてアクションを起こす者がいなかったのだろうか。経営トップに漫然と判断を任せるだけなら、彼らにさしたる存在価値はない。

 それぞれ直接顔を見たわけではないのだ。仕事に対する「やる気」自体があちこちの現場で低下しているように思える。そのために、仕事として任されたことが、かつてなら「常識だろう」と思うレベルで実行されなくなってしまう事例が頻発しているのではないか。

 こうした「現場のやる気」の低下の原因として、筆者のアタマに思い浮かんだのは、行動経済学では有名な、イスラエルの保育園の「お迎え」を巡る話だ。確か、前に読んだことがあると思い、探したら、iPadの中から見つかった。『その問題、経済学で解決できます。』(ウリ・ニーズィー、ジョン・A・リスト著、東洋経済新報社)の中にその話はあった。

 著者のニーズィー教授らが行った実験によると、保育園の「お迎え」に遅刻する親に対して罰金(米ドルで3ドルほど)を課することにしたところ、罰金のない状態よりも遅刻する親が顕著に増えたというのである。

 この場合、親たちは遅刻の意味を、「約束を破ることの罪悪感」から「3ドルのコストで償える迷惑の価値」に読み替えた(注:筆者の解釈である)。従って、「私は3ドル払う用意があるのだから、遅刻することは許される選択肢の一つだ」と考えるようになったので、罪悪感なしに遅刻できるようになったのだ。

 著者たちは、罰金の反対側のインセンティブについても実験している。イスラエルの募金の日に慈善目的の募金を集めるに当たり、募金集めに向かう高校生180人を60人ずつ以下の3グループに分けた。

【グループ1】慈善事業の意義を十分に説いて募金集めに向かわせる。

【グループ2】グループ1に聞かせた話に加えて、集めた募金額の1%相当の報奨金を個人に払うと約束して募金集めに向かわせる(1%は集めた募金の中からではなく別途払われることが事前にはっきり告げられている)。

【グループ3】集めた募金額の10%が払われると告げて募金集めに向かわせる。

 グループ1に金銭的なインセンティブはなく、グループ2は募金の意義に加えて募金集めの成果を損なわない金銭インセンティブが1%あり、グループ3は10%とグループ2よりも大きなインセンティブがある。

 結果を見ると、一番お金を集めたのは金銭的なインセンティブがないグループ1で、最もダメだったのは、グループ2だったという。実験結果について、著者は「この話のキモは、お金はたっぷり支払うか、あるいはまったく支払わないかのどちらかでないといけない、ということだ」と書いている。

 仕事の意義を押し付けつつ、仕事の成果によって金銭的な報酬の差を少々つけると焚きつける、日本企業の多くが導入している「成果主義」は、「所詮仕事はカネのためなので、カネ相応に働けばいい」という気分につながって、現場に関わる社員たちのインセンティブを、かえって劣化させているのではないだろうか。