文系と理系の信頼関係の作り方とは?
川村 今の宮本さんの話は、僕がこの理系の対談シリーズを始めるときにぼんやり思っていたことの答えを言ってもらった感じがします。技術の人たちは現実を見ていてどう実現させるかのスペシャリストなんだけど、その人たちを新しいゾーンに連れていくのはアートやストーリーの人たちなんじゃないかなと。
宮本 無理矢理な課題に付き合ってもらえる人がいることが大前提です。例えばプログラマーはバグを出さないことに責任があるんですけど、彼らに「リスクはあるけど、面白いんならやっちゃいましょうか」と言わせるために、どう納得してもらえるかが大事かなと。
川村 そうやって、文系と理系が侃々諤々(かんかんがくがく)しているなかから『スーパーマリオ』や『ゼルダの伝説』が出てきた感じは、すごく理解できました。ただ、それは宮本さんが技術の部分をブラックボックスにしないで、勉強して突っ込んでいった時期があったからなんですね。
宮本 いいかげんな勉強なんだけど、頭でっかちで原理だけはわかっているので、すごい人の前で何か発言すると「あいつ、やりにくいな」とか言われるタイプでした。でも、ある程度かじっていて話ができた方が、相手に対して説得力は持てますよね。
川村 映画の撮影技術も、1秒24コマのフィルムで撮られていたのが今はほとんどデジタルになってきてしまったんですけど、僕はカメラが好きなので、つい最新のカメラの仕様とかを調べてしまうんです。その上で「スタンリー・キューブリックの『シャイニング』のトーンを出したいから、デジタルだとあのカメラであのレンズ…」とか言うと、「うるせえ」とか言われるっていう(苦笑)。でも、そうやって勉強してちょっかいを出してる方が、結果的にカメラマンと仲良くなるんですよね。
宮本 そうですよね。あと、僕の場合は時期的にもラッキーだったと思います。さっきも言いましたけど、コンピュータの黎明期(れいめいき)だったのと、ファミコンというワンハードでのお題コンテストみたいなものだったので、「この機械とこのメモリーサイズでベストなゲームを作る」と目標もはっきりしていました。つまり、「白いキャンバスがあるから、あなたの好きなものを描きなさい」と言われてもまったく手が出ないけど、この範囲においては絶対に他では誰もやっていないだろう…みたいなことから始めることができたわけです。そういう意味で今の人たちは白いキャンバスを前にして、自分が得意な画材もはっきりしていない状況で始めないといけないから、大変ですよね。
任天堂 専務取締役 クリエイティブフェロー
1952年京都府生まれ。77年金沢美術工芸大学工業デザイン専攻を卒業後、任天堂入社。『ドンキーコング』(83)『スーパーマリオブラザーズ』(85)『ゼルダの伝説』(86)『F-ZERO』(90)『スターフォックス』(93)『ピクミン』(2001)など、ゲーム史に残る数々の傑作シリーズを生み出したゲームプロデューサー。07年には米TIME誌「TIME 100(世界で最も影響力がある100人)」に選ばれ、〝ビデオゲーム界のスピルバーグ”と評される。仏レジオン・ドヌール勲章「シュヴァリエ章」(06年)をはじめ、国内外の受賞歴も多数。
1979年横浜生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業後、東宝にて『電車男』『告白』『悪人』『モテキ』『おおかみこどもの雨と雪』『寄生獣』『バケモノの子』『バクマン。』などの映画を製作。2010年米The Hollywood Reporter誌の「Next Generation Asia」に選出され、翌11年には優れた映画製作者に贈られる「藤本賞」を史上最年少で受賞。12年には初小説『世界から猫が消えたなら』を発表。同書は本屋大賞へのノミネートを受け、100万部突破の大ベストセラーとなり、佐藤健、宮崎あおい出演で映画化された。13年には絵本『ティニー ふうせんいぬのものがたり』を発表し、同作はNHKでアニメ化され現在放送中。14年には絵本『ムーム』を発表。同作は『The Dam Keeper』で米アカデミー賞にノミネートされた、Robert Kondo&Dice Tsutsumi監督によりアニメ映画化された。同年、山田洋次・沢木耕太郎・杉本博司・倉本聰・秋元康・宮崎駿・糸井重里・篠山紀信・谷川俊太郎・鈴木敏夫・横尾忠則・坂本龍一ら12人との仕事の対話集『仕事。』が大きな反響を呼ぶ。一方で、BRUTUS誌に連載された小説第2作『億男』を発表。同作は2作連続の本屋大賞ノミネートを受け、ベストセラーとなった。近著に、ハリウッドの巨匠たちとの空想企画会議を収録した『超企画会議』などがある。