2016年3月3日、私はこのコラムで「中国貨物列車のイラン到達は一帯一路の大きな一歩」と題して、中国の貨物列車が初めてイランに到着したことの意義や中国版新幹線、高速鉄道の海外進出の動きなどを紹介した。
1月28日、この貨物列車は寝具・工具・アクセサリーなどといった商品を32個の40フィートのコンテナに積んで、浙江省の「雑貨の町」という呼び名で知られる義烏(イーウー)を出発し、新疆ウイグル自治区の阿拉山口から中国国境を出た。列車はカザフスタンとトルクメニスタンなど4ヵ国をまたいで1万0399キロメートルもの距離を走り、14日後に、イラン東北部とトルクメニスタンが接するサラフスに入った。そこからさらに、イラン国内を移動して、終点のテヘランに到着した。
そのなかで、「中国の義烏は世界的な日用雑貨の集散地で、イランはすでに義烏にとって上から5番目の輸出対象国となっている。2015年、義烏を訪れたイランのビジネスマンは延べ2万人を超え、1万8000個のコンテナが義烏の税関を通ってイランへ輸出された」と義烏とイランとの経済関係を述べた。
14年ぶりの再訪で見た伝統と変貌
このコラムを書いたとき、前回、義烏を訪れてから、すでに14年の歳月が過ぎ去ったのを思い、近々久しぶりにこの雑貨の町を訪問してみようと考えていた。2016年4月中旬に中国国際電子商務博覧会が開かれると聞いて、義烏の再訪に踏み切った。ちなみに、国際電子商務とは「越境EC」のことを指す。