「前職では、ある時期までは経営状態は良好でした。その頃は、会社の方針や戦略を細かく決め、標準化・マニュアル化を徹底していました。社員たちがそれを守り、業績が向上し、会社は成長できたのです。ところが経営危機になると、状況が変わってきます。前述のような教育や体制が行き過ぎたこともあり、多くの社員がイエスマンとなり、思考停止になってしまったのです。私も含め、社員たちが危機をどう乗り越えるか、どうすればいいのかを、深く考えることができなくなっていたのです」

 その後、会社は経営難に陥り、社員のリストラをせざるを得なくなった。松岡氏はこう語る。

「このときに退職した社員の中で、他の会社に移ったり、自営業や会社の経営を始めたりして活躍している人の多くは、イエスマンとは言い難い社員でした。勢いがありすぎて、会社の枠からはみ出してしまうタイプだったのです。いい仕事をして結果を残しているからプライドがあり、誇りやポリシーを持っています。いい意味で、欲も持っていました。当時、役職者であった私からすると、必ずしも“扱いやすい人材”とは言えなかったかもしれません。しかし、そのような人が会社を離れた後、土壇場になると得てして頭角を表わすものなのです」

唯一変化に対応できる
モノだけが生き残る

 松岡氏は前職での経験もあり、自らが経営する会社では、業務の規格化・標準化・マニュアル化を最小限に留めているという。

「変化に対応できる人材を育てるために、自主・自立・自燃の社員を創造したいと思っています。『強いモノが生き残るのではない。賢いモノが勝ち残るのでもない。唯一変化に対応できるモノだけが生き残る』という、(イギリスの自然学者)ダーウィンの考えを私も大切にしたいのです」

 最後に、「イエスマン量産」教育について思うことを述べたい。

 この手の教育の大きな問題は、他人や社会からの評価なくして生きていけない、つまり自分で自分のことを評価することができない人を大量につくることにあると思う。人から認められて初めて納得感を持ち、生きていける人が多いように感じてならない。

 実際は、そこが国の狙いかもしれないとも思う。国を統治する側からすると、そのほうが国民をコントロールしやすいからだ。本来は、自分への評価は無責任な他人や社会に委ねるべきではないと思う。今なお10代の若者は、教育現場において、学校や教師などに対して怒りを持つ自分を切り捨て、否定するように仕向けられているように思える。

 それがエスカレートすると、教師や学校、さらに世間の目などを極度に恐れるようになる。やがて自分らしさを失い、気概や貪欲に生きていく力などを失って行く。こういう人が、あなたの職場にもいないだろうか。