自宅が罹災した多くの人々が住宅探しをしていることで、住宅不足や家賃高騰が大きな問題となりつつある

2016年4月14日に熊本地震が発生してから2週間が過ぎ、支援体制も少しずつ整備されてきている。しかし現在もなお、3万人以上の人々が避難所での生活を余儀なくされている。ライフラインは、震災前と同等に回復するまでには数ヵ月はかかりそうだ。

今回は、これから最も深刻な問題の一つとなるであろう社会的弱者の住宅問題について、2011年の東日本大震災後に起こったことを振り返り、熊本地震後の現状を考えてみたい。

「コップ一つ壊れなかったが…」
被災地域での生活保護の暮らし

 岩手県釜石市で生活保護を利用している小林純子さん(仮名・57歳)は、1979年に20歳で一人暮らしを始めた時から、現在の借家に住み続けている。家族は、10歳になる小型犬1匹だけだ。結婚生活を送っていた時期もあったが、2010年に離婚。犬は、出て行った元夫が残していった。

 建築されてから50年以上になる木造の借家は、2011年3月11日、東日本大震災の最初に起きた震度6弱の揺れで、特に損傷を受けなかったということだ。

「コップ一つ壊れませんでした。19歳のときの宮城県沖地震(1978年)の方が、激しく揺れて怖かったです。その時は、海の近くの両親の家に住んでいました。でもここは、高台で地盤が固いんです」(小林さん)

 近隣にも住居の被害はほとんどなかったそうだ。どのような住まいなのだろうか?

「4畳半が2間、3畳の台所、浴室、トイレで、1階だけです。トイレは和式を洋式風に改装したもので、汲み取りです。平屋の借家で、家賃は2万5000円です」(小林さん)

 平屋だったことも、幸いしただろう。とはいえ、電気・水道は使えなくなり(ガスはプロパン)、近隣の避難所などで支援物資や水を入手しながらの生活が続いた。しかし6日後には電気が復旧し、近所の井戸が電動ポンプで利用できるようになり、身体を洗うことも可能になった。

「特に大変だったという記憶は、ないですね。もともと『私に避難所は無理』と思っていましたが、住まいが無事でしたし」(小林さん)

 見た目で分からない疾患を持っている小林さんが、もし避難所生活を送ることになったら、健常者にも障害者にも理解されにくい数々の苦労を抱えることになっただろう。しかし、さまざまな被災状況の人々がいる中では、「幸運だった」とも「不運だった」とも考えにくく語りにくいようである。

 ちなみに、小林さんの血縁者のうち2人は、津波で家を流されてしまった。また、友人のうち2名が津波で亡くなったそうだ。

 小林さんは、幼少時から虚弱体質や奇妙な疲れやすさに悩まされてきた。30代前半までは、アルバイトや内職で辛うじて生計を立てていたが、「年々、難しくなってきた」という。35歳のときに結婚し、まもなく疾患のため失職した元夫とともに生活保護を利用し始めた小林さんは、「就労可能」とみなされ、生活保護ケースワーカーからの就労指導を受けることになった。