その2004年改正の内容は、きちんと実行されるのでしょうか。

井堀 一応マクロスライドを発動することは正式決定ですが、なんらか特例として実施されない可能性はあります。年金給付というのもそもそも物価連動するはずなのにデフレのときにも給付額を下げずにきていますから、なんとでも後付けの理由はできそうです。

 ただ仮に予定どおり実行されたとしても、給付の下げ方がものすごく緩やかなのです。運用利回りを楽観的に見積もって100年間は積立金をもたせる設計ですが、こうした楽観的な試算からも世代間の不公平問題をあまり明示的に議論したくないという後ろ向きの姿勢がうかがえます。したがって、この間は世代間の不公平もさほど解決されないと言えます。

 「政治的にコミットされたかたちにはなっているけれども、なんらか不測の事態が起こった場合は実行しない」、という条件付きの政策が近年は多いですね。ちなみに、このシナリオの前提とされている経済成長率や出生率はどのような想定ですか。

井堀 出生率は厚労省が試算した中位の数字が使われていて、こちらはかなり標準的な推計とみられています。しかし、ほかの経済成長率や賃金上昇率はかなり高い想定をもとにされています。年金の運用収益もかなり大きく出る想定ですし、これらの実現性は怪しいと思います。

医療は“サービス”の側面が強く
個人勘定積立方式を導入する意義が大きい

 少子高齢化が進みつつある先進国において公的年金は賦課方式が多いですし、日本に限らず、賦課方式の年金で全部カバーできないことが判明して、これを徐々にスリム化し、残りは個人で備えて下さい、という方策が打ち出されているわけですね。その意味では日本も例外ではないのでしょうが、もっと大胆に年金制度を改革した国はあるのですか。

井堀 昔、チリが公的年金を民営化して個人勘定積立方式に変えたのですが、それは年金制度が未成熟だから変えられたのでしょう。日本のように制度としてかなり成熟していると、高齢者の多くが公的年金に期待してしまっているし、政府も老後の備えの基本は公的年金だと説明してきたので、制度をガラッと変えるのは非常に難しい。

年金・医療費を親子間で相互扶助する抜本策など<br />抜本改革は“イベント“効果を機に前進させる<br />【翁邦雄×井堀利宏 対談後編】井堀利宏(いほり・としひろ)プロフィル/東京大学名誉教授。政策研究大学院大学教授。1974年東京大学経済学部卒業、81年ジョンズ・ホプキンス大学大学院経済学博士課程 修了(Ph.D.取得)。東京都立大学経済学部助教授、大阪大学経済学部助教授、東京大学経済学部助教授、95年同教授を経て、97年から同大学院経済学研究科教授、2015年に同名誉教授。同年4月より現職。2011年紫綬褒章受章。『現代日本財政論 財政問題の理論的研究』(東洋経済新報社、1984年、日経・経済図書文化賞)、『財政赤字の正しい考え方 政府の借金はなぜ問題なのか』(東洋経済新報社、2000年、石橋湛山賞))、『大学4年間の経済学が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA/中経出版)など著書多数。

 ですから、徐々にスリム化していく方向しか政治的な選択肢としてないのですが、それだと世代間の収益率はほとんど改善されないんですね。既裁定の年金はあまり変わりませんし、私たちも含めて広い意味での高齢者の層、つまり1960年以前に生まれた世代はあまり損しないことになり、若者にしわ寄せがいく構図は変わりません。

 世代間公平の観点からは、現状の改革案だとほとんど寄与しないわけですね。他方、医療保険にも個人勘定積立方式の導入を提案されていましたね。

井堀そうですね。医療は年金と違って“サービス”ですから、個人勘定積立方式を導入する意味はさらに大きいと思っています。

 もちろん人によって医療が必要になる場面はさまざまですし、完全に積立方式に変えるのは非常に難しい。しかし、昔のように結核や感染症といった個人ベースで解決できない病気より、今は圧倒的に生活習慣病の類が増えています。それだけに、若いときから健康に留意する生活スタイルをとるか否かというインセンティブを組み込むことに以前よりメリットが増していると考えています。

 たとえば自分が保険料を払った個人勘定の医療積立口座から医療費を引き出すとすれば、年をとったときに積立金がなくならないよう若いときに節制するようになるでしょうし、ひいては医療費全体の抑制にもつながると考えています。無論、個人の責任でどうにもできない病気もあります。そこは公的補助が必要ですが、それは今も高額医療費制度があります。ごく一般的な病気であればある程度は自己負担の原則に含められるのではないでしょうか。