東京大学の井堀利宏名誉教授は、著書『消費増税は、なぜ経済学的に正しいのか 「世代間格差拡大」の財政的研究』中で、アベノミクスに対して「財政健全化に消極的である」と批判しています。金融政策の専門家である京都大学大学院の翁邦雄教授を迎えてお送りする本対談では、非伝統的金融政策(質的量的な金融緩和)を強力に推進してきた現政権アベノミクスの政策に対する評価や、金融政策と財政の持続性との関連、春先から迷走している消費税引き上げを巡る問題などについて議論が広がります。

−−−−安倍政権の発足から3年余が経ちました。アベノミクスが実施した「三本の矢」(大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略)の効果について、どのように評価されていますか。

井堀 短期の景気対策として偏った金融政策を実施し、それを財政出動で補正しました。中長期の財政健全化は棚上げされたまま、財政政策の時間軸や意義が分からなくなってしまっています。

 そして、成長戦略としての規制改革は中途半端に終わっています。

 本来であれば、長期的な視点のもと経済成長にプラスとなる規制改革を実現すべきだったと思いますが、やはりアベノミクスは、短期の景気を上げることが最大の目標だったのでしょう。期待を裏切ることで市場にショックを与える異次元の金融政策頼みになり、効果が消化されてしまうと、次のサプライズを演出する、という繰り返しになっています。

 翁さんは、特に「第一の矢」である金融政策をどのように評価されていますか。

 金融政策の効果は、一般に言われているよりはるかに小さかったと思います。そもそも安倍政権の発足前後に大幅な円安・株高になったのは、ファンダメンタルズの変化の影響が大きかったと言えます。

 2012年11月、総選挙に向けた選挙戦の中で安倍首相が円安誘導を明言し、そこから円安が急速に進行しましたが、その少し前に、ドラギ欧州中央銀行総裁の「(ユーロを守るためなら)何でもやる」という発言で欧州債務危機が後退し、他方で、それまで日本は恒常的な黒字国だったのに東日本大震災の影響で貿易収支の大幅な赤字持続が避けられない見通しになりました。

日本経済が「四季のような循環的な冬ではなく、氷河期の冬のような状態」なら、これからどこへ向かうのか?

 この2つはそれまでの円高トレンドの背景を逆転させていたのですが、安倍さんはこの基調変化を絶妙なタイミングで後押しし、それが劇的な政策変更の効果であるように感じさせることに成功したと思います。

 2012年11月から2013年3月ぐらいまで急速な円安が進み、その効果によって最初は物価もかなり上昇しましたが、インフレ期待の上昇は一時的で、これが高まることで物価が押し上げられる、といった、黒田日銀総裁が当初に強調されていた効果はあまり見られないまま減退したと思います。

井堀 あれだけ数値目標が大切だと強調して「2年間でインフレ率2%」を掲げておきながら、実際の現状のインフレ率はゼロのままという現状をみれば、明らかにインフレ期待への効果は失敗だったと言っていいでしょう。

 クルーグマン(1953〜、ニューヨーク市立大学大学院センター教授、08年ノーベル経済学賞受賞)は金融政策で期待にはたらきかける効果について早くから指摘していました。当時の彼の議論は景気循環を四季の変化になぞらえるとわかりやすいと思います。

 1990年代後半の日本経済はバブル崩壊後のバランスシート調整で委縮していました。これは、大寒波の到来で例年より格段に厳しい「冬」が到来したようなもので、誰も買い物に出ず、家に引きこもっているような状況です。厳冬のため、自然利子率(景気刺激的でも引き締め的でもない均衡実質利子率)もマイナスになっている状況、と解釈できます。

 このとき、中央銀行は金利をゼロ以下に大きくさげることはできないから、冬のさなかにはインフレを作るほどの刺激はできない。しかし、やがて春が来れば、人々が活発に動き出す。そのタイミングで中央銀行がインフレを思い切って容認する政策をとる、とコミットすれば、春が来ると値上がりするという予想を起こせるのではないか。人々がインフレ期待をもてば、寒いうちにいろいろ資材を買っておこうか、と厳冬期に活動し始める、というストーリーになります。

井堀 しかし、現在起きていることはそれとは違う、と。

 そうです。いま多くの先進国で起きているのは、自然利子率が四半世紀にわたってトレンド的に下がってきてマイナスに突入している状況です。このトレンドが今後も続くのでは、というのがサマーズ(1954〜、元米財務長官、元ハーバード大学学長)の長期停滞仮説です。こちらと組み合わせて考えると、多くの先進国で起きているのは、四季のような循環的な冬ではなく、氷河期に突入したような冬の状態に近い