2人の副編集長は数ヵ月前に行なわれた人事で、ライバルである副編集長が編集長(部長級)へ昇進したことに不満を持ち、怒りを露にしていた。「なぜ、あんな奴が……」というものだ。

 当時この編集部では、3人の副編集長が1つの編集長のポストを競い合っていた。編集長になった男性は40代後半。慶應大出身で、その上の役員も慶應大出身だった。選ばれなかった2人の副編集長は、「大学の後輩であるという理由で、役員があいつを編集長に昇格させた。あの男は学閥の力でのし上がった」と不満を漏らす。2人の副編集長も40代後半。早稲田大と中央大を卒業しているらしい。自分たちが編集長になれなかったのは、学閥の力がないからであり、能力や実績では負けていない、と言いたいようだった。

「なんとか自分を大きく見せたい」
引導を渡さないから勘違い社員が増える

 結論から言えば、この捉え方は事実誤認である。数年後に聞いた話によると、彼らが「慶應大卒」と言っていた役員は、実は中央大出身だった。2人の事実誤認だったのだ。

 また、早稲田大と中央大卒の2人の副編集長の仕事のレベルは相当に低い。筆者がこの十数年、90~110人ほどの編集者とコンビを組んで仕事をしてきた経験を基にして言えば、平均以下のレベルである。会社がこんな人たちを副編集長にしたこと自体、人材難であることを立証している。これが準大手出版社の限界なのだろう。

 おそらく彼らが編集長になれなかったのは、学歴や学閥ではなく能力や実績が編集長にはふさわしくないと、「相対的に」判断されたためだと思う。10年ほど経った今、編集長になった慶應大卒の男性は役員になっている。早稲田大卒の副編集長は編集長になることなく営業部に移り、部下のいない部長をしているという。中央卒の副編集長も、データ管理を行なう管理部門に異動となり、やはり部下のいない部長をしているらしい。

 編集長になれなかった時点で会社が引導を渡しておけば、2人はこの10年の間に、新たな職場でキャリアをつくることができたかもしれない。将来、70代まで働かなくてはいけないような時代になることを踏まえると、こういう「負け組社員」に対して会社が早く引導を渡しておくほうが、本人にとってもキャリア形成をする上でメリットがあるのだ。

 人事が社員の処遇を「相対的」に決めるのは仕方がないとしても、その詳細を伝えないから本人は勘違いし、定年寸前になりながらも「実績のない高給取り」として、恥じらいもなく会社に居座る。一方で、「相対的に採用の合否を決める」という言葉のもと、冒頭の慶應大の学生のように、無念の思いに浸る人があらわれる。

 日本の人事部は学生や社員の評価において、「相対」という言葉の意味を改めて考え直すべきではないだろうか。