精読も乱読もあれば
「眺める読書」もあり

 こうして本を分類し、次々に読んでいくことになるが、数学者の広中平祐(1931-)は人間の類型から読者像を大別している。自分の型を見定めるのも効率化にはなる。

「昔から読書のタイプとして精読型と乱読型の二つのタイプがあるといわれている」(広中平祐「読書法雑感」(「京都大学附属図書館報/静修」第20巻第2号、1984年1月)として次のように整理している。

精読型……少数の書物を選択して徹底的に読み込み、何度も読む。原点を確立し、それから読書を広げていく。これを極座標方式とする。
乱読型……限定せずに通読し、印象に残った個所を拾う。その連鎖から視点を探っていく。これを格子座標方式とする。

 広中は、理系は格子座標方式、文系は極座標方式が多い、と書いているが、特定のジャンルの研究者は極座標方式、その他大勢は格子座標方式のような気がする。私は間違いなく格子座標方式である(ちなみに、極座標は原点0からの距離と角度で表される。格子座標はメッシュだ)。

 また、ななめ読みについてはこう書いている。

「本格的に始めから終りまで読む直読に対比して、読むともなく、どこからともなくページをめくっては瞑想にふけるといった眺読ともいえる読書方式もある。(略)どの型がどの型よりも優れているというものではないようだ。自分の性格にマッチした読書方式が、その人にとって最良であるといえる」(広中平祐、前掲誌)。

「直読」とは、漢文を返り点に従って訓読せず、語順で音読することだ。「眺読」は広中の造語で、パラパラとめくりながら「本と遊び」(吉本)、脳が重要な言葉を認識していく様子を現していると思う。

徳富蘇峰『読書法』(講談社学術文庫、1981年)

 組み合わせてもいいだろう。自由民権運動から戦後まで生き抜いたジャーナリスト・歴史家の徳富蘇峰(1863-1957)は『読書法』(講談社、1952年、講談社学術文庫、1981年)で中国の古典を引き、「読書百編義自ら通ず」、すなわち何度も精読するうちに意義がわかる、という。また、「読書大義に通ず」、つまり枝葉にこだわらずに根本意義に達する、ともいう。両方ありえるわけで、自分の性格と読書の目的によって往復してもいいのだ。

 次回連載第10回は、「本に書き込む読書法」を考察する。

(次回は6月10日)