もっとも、原爆関係の記念資料館などの建設は、1949年5月に国会で可決された広島平和記念都市建設法に基づくものである。当時の日本はまだ連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)支配下だった。それゆえに、米国に対して原爆投下を非難したり、謝罪を求めるような政治状況ではなかったということを理由に、そのような状況下で作られた碑文を改めるべきとの議論がいまだに存在するのも事実だ。

 GHQによる占領体制が解かれた後の1952年には、東京裁判で判事を務め、「A級戦犯」への無罪勧告を行ったことで有名なラダ・ビノード・パール氏が広島を訪れ、講演会で米国の原爆投下を痛烈に非難した後、慰霊碑の前で碑文の内容を聞くや、「原爆を落としたのは日本人でない。落とした者の手はまだ清められていない」と、まるで日本人が自分たちに対して謝罪しているかのような文章を批判した。不戦を誓い、謝罪するのは原爆を落とした側の米国ではないか、とのパール氏の主張は、被爆者をはじめ一定数の日本人の共感を呼んだ。

 それに対しては碑文の揮毫者である雑賀氏が、「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」との抗議文を送り、いわゆる「碑文論争」が巻き起こった。

 その後も長く、この碑文をめぐっては論争が繰り広げられ、あろうことか碑にペンキがかけられたり、ハンマーで破壊されるなどの事件も起きているが、広島市の見解は一貫して、慰霊碑建立当時と同じだ。現在、広島市は碑文の意味について次のように説明している。

「原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の『過ち』とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています」(広島市HPより)。

 この主旨は、現地を訪れた外国人にも伝わるよう、日本語と英語の他、フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語、韓国語で、碑文の近くにも説明文が掲げられている。