消せるボールペンは書き込みに便利だ

 2007年まで発行されていた五千円札の肖像として知られる新渡戸稲造(思想家・農業経済学者1862-1933)が、明治の終わりに「余が実験せる読書法」を書いている(新渡戸稲造『修養』 所収、1911年、実業之日本社、『新渡戸稲造全集』第7巻、教文館、1970年)。

「僕は来週から(明治41年)帝国大学でアダム・スミスの『国富論』を講義することになって居る。講義の前に、一と通りアダム・スミスの伝を話したいと思ってそれを調べかけた。スルト第一にスミスという名は、英国に沢山あることに気付く。この姓の起源を調べたくなった。サアそれから色々の書物を引張り出して見ると、暫らくの間は『国富論』なぞは忘れて仕舞ふ」(新渡戸稲造、前掲書)。

 そして次にスミスの生地スコットランドのKirkcaldy(カコーディ)という小さな町について調べ始める。スミスの父親が弁護士だったと知ると、英国の裁判所構成法を読む。こうして次々に横道へそれていく様子が描かれている。過剰に調べてどうやって整理するかというと、

「僕は一篇の論文を起草するに際しては、必ず大体の筋道を書いて置く。少なくとも頭脳にだけはそれを記して置き、岐路に入っても必ず再び帰って来る様に心懸ける。読書するに当たっても同じ注意が必要である」(新渡戸稲造、前掲書)。

 どんなに横へそれていっても、メモに筋道を書いておいて忘れないようにしておくということだ。彼は本にもかなり書き込んでいる(後述)。

本は書き込むことで
ノートと化す

 本に書き込むことは、本をノートにすることと同義だ。これは、実は多くの人が実践している。

 膨大な建築評論を書いてきた川添登(建築評論家1926-2015)も、こう書き残している。

「本を読んでいるときに発想が浮かぶ。ノートに書くこともあるが利用することは少ない。私の場合は、本がそのままノートがわりになる」(川添登「どっぷりとつかり込む」(『私の読書術』所収、かのう書房、1984年)。

松岡正剛『多読術』(ちくまプリマー新書、2009年)

 松岡正剛(編集者・著述家1944-)は、書き込んでいくことが読書術の核心だという。

「読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感をもつことです。そのことを読みながらリアルタイムに感じることです。この『リアルタイムに感じる』ということが大事です。読んでいる最中に何を感じたかも、マークしておきたい。(略)読みながらマーキングすることを勧めています。鉛筆でも赤ボールペンでも、読みながら印をつけていく。これはそうとうに、おススメです。やっていくと、マーキングが読書行為のカギを握っているという気になるはずです」松岡正剛『多読術』(ちくまプリマー新書、2009)。

 松岡正剛によるマーキング(書き込み)のメリットを同書から抜き出してみる。