江戸時代から日本人を支えてきたナタネ
捨てるところのない重要な作物

 工場を見学し、まずは原料のナタネを見せてもらった。原材料は遺伝子組み換えではないナタネのみを使っていて、他の材料は扱っていないので混入する危険はない。

手のひらにあるのが国産の菜種。奥はオーストラリア産

「西オーストラリア産のナタネです。遺伝子組み換えでないものだけを扱っているので、コンテナの扱いなどコンタミ(混入)の危険性には最大限の注意を払っています。以前はカナダからも輸入していたのですがカナダでは96年にGMOの商業栽培が認められると一気に広まり、非遺伝子組み換えの入手が困難になりました。オーストラリアでも2009年にGMO作物の栽培が認められましたが、非遺伝子組み換えにこだわっている生産者の方と協力して原料を確保しています」

 倉庫の奥には貴重な国産のナタネが積み上げられていた。

「生活クラブ生協さんと協力していくなかで、91年から国産原料を本格的に使いはじめました。青森県横浜町や北海道滝川町でナタネの栽培がはじまり、うちで油を搾っています。現在のナタネの自給率は0.03%ほどですが、当社はその半分を扱っていることになります」

 米澤製油は小さな会社だが、国産なたね油を支える大きな柱だ。ブレンドの他、国産100%のナタネサラダ油も製造している。比べてみるとオーストラリア産のナタネはサヤなどが一緒に混ぜられているが、国産はきれいに種だけに選別されているのが印象的だ。

「耕地面積の広さの違いや国民性の違いもあるんじゃないですか。あとオーストラリア産のほうが若干、若い状態で収穫しています」とは山崎氏。

精製していないナタネ油は赤水と呼ばれ独特の風味がある。江戸時代の天ぷらはこの味だった。サラダ油に二割ほど混ぜて使うと風味がいい。注文で対応できるそう

 ナタネは日本人にとって重要な作物だった。ナタネ栽培は江戸時代に大きく広がり、灯りや食用油になった。今でも比叡山や伊勢神宮などでは灯りとしてナタネ油が用いられている。江戸の食文化を代表する「天ぷら」もナタネ油の普及とともに生まれたものだ。

 また日本の景観をつくる作物でもあった。「菜の花や月は東に日は西に」(与謝蕪村)や「菜の花の四角に咲きぬ麦の中」(正岡子規)という歌があるが、日本人は米の裏作として栽培されていた菜の花の美しさを愛してきた。しかし、輸入の自由化や在来の菜種に含まれるエルシン酸(エルカ酸)を大量摂取にすることで心臓障害が起こるという疑いがかけられ、そうした景色は失われていった。

 ナタネづくりが復活したのは東北農業試験場が開発したエルシン酸をほとんど含まない『キザキノナタネ』という品種の登場によるところが大きい。その後もそうした品種がいくつか開発されている。省力作物のナタネには高齢化する地方からの期待も大きく、ナタネを使った地域振興なども全国各地で試みられている。

「ナタネを栽培している方がうちで油にしてくれと持ってくることもあります」

──小回りが利くんですね。採算性がないのでやりたがる会社は少ないと思います。

「たしかに、大手さんはそうした仕事は受けられないでしょうね。うちはこうした設備を持っている製油メーカーでは一番小さい会社ですから」