一流と呼ばれる、京都の花街の「本物のもてなし」や「さりげない気遣い」に触れて育った著者が、粋を極めた男だけが知る遊び方、仕事の仕方、人付き合いのマナーについて語る「大人の男」のための連載がスタート。第1回のお題は、「一見さんお断り」と京都のビジネスマナーについて語ります。
「一見さんお断り」でも京都の商売が繁盛する理由
私が京都生まれであることを告げると、「一見さんお断り」の話を持ち出されることがあります。京都人に対するイメージに関するわかりやすいエピソードとして語られているわけですが、要するに「京都人は意地悪」だということです。
京都人の私が言うとあまり説得力がないのかもしれませんが、これは決して「京都人は意地悪だ」という話ではなく、実は京都ならではのビジネスのお話だというのが私の考えです。
「一見さんお断り」についての私なりの考えですが、なるほど祇園辺りに行くといかにも敷居の高そうな御茶屋やお店が並んでいます。それだけで怯んでしまいそうですが、決して「お店に入らないでくれ」といっているわけではありません。
長い歴史の中で京都という町はつねに戦にさらされてきました。そして時々の首長に合わせながら、いつ変わるかわからない世の中にあっても、客商売の人たちはご贔屓やお得意を囲い込み、その中で生業を考えてきました。ご贔屓やお得意を大切にするのは商売人なら当然のことで、それが歴史を重ねるうちに親から子、子から孫へと継がれ、ご贔屓筋もまた続いていく。自分たちの台所を守るために、ご贔屓筋を受け継いできたのです。
お茶屋文化の中では、支払いをつねに「ツケで回す」というシステムができ上がっています。これはきわめて現実的な対応で、初めてのお客さんにいきなりツケにしてくれと言われても困ってしまいます。だから誰某の紹介なり、仲介が必要なわけでそれが「知らない人は入れない」=「一見さんお断り」と理解されてしまい、「京都人は意地悪だ」という話に発展したのだと思います。
昨今ではお店の格式を表わすために「一見さんお断り」を使ったりするようですが、これは本来の意味とは少し異なっているのではないかと思います。「上客しか入れない」ことと、京都の「一見さんお断り」の違いは明らかで、それがどうやら混同されているようなのです。
京都の「一見さんお断り」は代々のご贔屓やお得意を大切にしてきた文化で、それはリピーターや常連客を大切にするいまどきの人気店のやり方と同じです。まして古い町ならば、そこにずっと住んでいる人がいるので、そのしきたりが受け継がれていくのは当然のこと。しかし、このシステムを今風に解釈し、「紹介がないと入れない」や「常客だけで十分」などと言って、利用しているお店なども少なくはないようです。
京の「一見さんお断り」は意地悪などではなく、お客様に長いお付き合いをお願いしている。そこには「成功する商売のノウハウ」が詰まっているように思えます。どの世界でもそうですがその町に詳しい人の紹介で言ったお店のドアを開けると、驚くほど新しい世界が開けるものです。「一見さんお断り」を恐れず、ぜひ、京の「長いお付き合いを大切にするもてなし」のドアを開いてみてはいかがでしょうか。