このあたりの事情について詳しく知りたい方は、2015年8月9日付の「産経新聞」1面トップの記事を読まれるとよいだろう。編集委員の岡部伸氏がイギリス立公文書館の極秘文書をスクープしている。
ソビエトの対日参戦は宣戦布告なしの参戦だったことが詳報されている。日本政府がソ連の宣戦布告を知ったのは日本時間の8月9日午前4時、すでにソ連兵の武力侵攻開始から4時間が経っていた。日本政府が正式な宣戦布告文を受け取ったのは8月10日午前11時15分、ソ連侵攻開始から35時間以上が過ぎていた。
日本の真珠湾攻撃は宣戦布告の文書が一時間遅れたために、卑怯な攻撃だと強く非難されてきた。ソビエトは国際条約である中立条約を破った上に、宣戦布告もなしに日本を侵攻したわけだ。
日本侵攻は60万人に上るシベリア抑留者の悲劇に加え、満州在住の210万人の日本人、とりわけ女性と子どもたちにとって地獄のような悲劇をもたらした。北方領土はそのときから今日まで、ソ連によって不法に奪われたままだ。
このことも含めて大東亜戦争がある。大東亜戦争を「侵略」の2文字でくくることがいかにおかしいか、このことからだけでも、理解できるのではないだろうか。
マッカーサーの証言
アメリカとの戦争はどうだろうか。占領軍を率いて日本を7年弱も統治したダグラス・マッカーサーがアメリカに戻ってアメリカ議会で証言している。日本の対米戦争は自衛のための戦争だった、と。
日米開戦の前の段階で、フランクリン・ルーズベルト米大統領がすでに日本の暗号を読んでいたのは、歴史の事実として確立されている。アメリカだけでなくイギリスも、日本の暗号電報を解読していた。
そうした中で、日本がいかに戦争を回避しようと努力したか。日本政府の考え方を察知したグルー駐日米大使の戦争回避努力とは対照的に、アメリカ政府は戦争を望んでいた。日本のメディアも世論を煽り、軍部も戦争に向かって突き進むかのようだった。
ルーズベルト大統領はヨーロッパの戦争に参戦したいと熱望し、当初、ドイツを挑発した。ドイツに対米戦争を仕掛けさせて、ドイツへ反撃する形でヨーロッパの戦争に参戦しようとしていたのだ。
このあたりは、アメリカ歴史学会の会長を務めたチャールズ・ビーアドの『ルーズベルトの責任[上・下]』(藤原書店)に詳しく書かれている。
ドイツが思うように挑発に乗らなかったとき、ルーズベルトは日本をターゲットにし始めた。
アメリカで日本人がいかに排斥されたか。日本を孤立させるために、ほとんどアメリカに頼っていた資源がどのように輸出禁止にされたか。アメリカの日本に対する締め上げは、まさに苛烈だった。
そうした中で日本は活路を拓くため、やむなく戦争に踏み切ったのではないだろうか。戦争に踏み込んだ日本は愚かだったと、私も思う。対米戦争は絶対にすべきではなかったと強調したい。しかし、これが侵略のための戦争だったとは、私は思わない。マッカーサーが議会で語った「自衛戦争だった」という言葉が真実に近いと考えている。