10月18日の毎日新聞の『風知草』。山田孝男氏の筆が冴えている。
「菅と高杉の違いを探り抜いてこそ、混迷する政局の本質が見えてくるのではないか」にはびっくりした。
菅直人首相が、かねてから高杉晋作の大ファンであることは知られていた。内閣発足直後にも自ら“奇兵隊内閣”を名乗った。自分を“高杉晋作”と位置づけたのである。
しかし、山田氏は、菅首相と高杉晋作には大きな違いあると思っているようだ。そのため、私の発言や著書(『梅の花咲く―決断の人・高杉晋作』)から多くを引用してくれている。
菅直人首相は「憧れの高杉晋作」ではなく、
その対極にある「赤根武人」に似ている
私は、菅首相は、高杉晋作の対極にある人と思っている。要するに正反対の人間ということだ。だから高杉に大きな憧れがあるのだろうと思ってきた。
菅首相はむしろ高杉と対決した赤根武人によく似ている。だから私は今も赤根武人にならないように願っているが、最近はますます赤根に近づいてきている。
赤根は岩国の医者の子として生まれて赤根家の養子になった。高杉の英国公使館焼き討ちにも加わったし、奇兵隊の創設にも参加した。
しかし、土壇場になると巧妙に逃げるところを吉田松陰は見抜いていた。攘夷戦争のときも奇兵隊を逃げ出して故郷で情勢を観望していた。
幕府寄りの俗論党長州藩政府を倒すために、高杉はたった1人で立ち上がったが、これに猛反対して立ちふさがったのが、当時奇兵隊総督をしていた赤根であった。
赤根は、藩政府を支配する俗論党と、それに対決する高杉ら正義党の中に入り、両派が和解する「正俗一和」を説き、奇兵隊総督であるにもかかわらず俗論党と通じたのである。
結局高杉は、80人あまりの少数精鋭の“功山寺挙兵”で藩政府を倒し、明治維新への決定的な一歩を踏み出すのだが、挙兵前に赤根を一喝している。
「赤根、貴様は何をいっているか。敵(幕府)に向かう時に身内の議論が二分していれば敗けるに決まっている。異論を包み込めばそれだけ力が弱まるのだ」