山藤章二著『忘月忘日6―アタクシ絵日記』(文春文庫)で、私はこう書かれた。
〈とにかくこの人、テレビや活字で見るたびに、誰かれなく斬りまくっている。それもユーモラスとか諷刺とかの変化球ではない。「詐欺師」「盗賊」あたりはまだいい。人間に籍があるから。時には「痰壺」「肥だめ」などと、紳士にあるまじき評言で斬る。だからスカっとする〉
私もやみくもに斬人斬馬しているわけではない。しかし、イメージとしてはそんな感じなのだろう。
いずれにせよ、現代の戯れ絵師、もしくは毒絵師の山藤にこう折り紙をつけられて、私は本望だった。
「佐高信のイメージ」を世の中に決定づける
“辛口評論家”という私のニックネームは山藤がつけたようなものである。『朝日新聞』に連載していた「佐高信の新・会社考」に山藤の描く私の似顔絵が載って、世の中に私のコワモテが印象づけられた。
笑うことのないようなこのコワイ似顔絵を私は気に入っていたのだが、80歳を過ぎた私の母親は姉に「アレがズーッと載るのか」と尋ねたという。
親のヒイキ目で息子はもう少しイイ顔だと思っていたらしい。
のちに対談した時、山藤は、「はじめて会ったときには違うなと思いましたね」と言っていた。テレビの中では「まず笑顔は出さない」けれども、「表と裏を使い分けているんだな」と思ったというのである。
そんな器用さは私にはないが、「はじめて会った」のは、川柳の審査の席だった。
シティバンクが募集した「金融御意見川柳」の審査員として同席したのである。私たちがグランプリに選んだのが「国民を無理矢理連帯保証人」で、その他、「トラの子の亡命先を考える」がシティバンク賞。