学習を軽視する組織は、生存領域がどんどん狭くなる
『失敗の本質』の第2章には、日本軍が学習を軽視した組織だったと指摘されています。時代の変化、兵数や敢闘精神ではなく近代装備の充実こそが勝負を決める世界となったにもかかわらず、日本陸軍は変化に対処せず、精神力の優位を強調したのです。
「こうした精神主義は二つの点で日本軍の組織的な学習を妨げる結果になった。一つは敵戦力の過小評価である。とくに相手の装備が優勢であることを認めても、精神力において相手は劣勢であるとの評価が下されるのがつねであった」
「しかし二つの敗退から学習したのは、米軍であった。米軍は、それまであった大型戦艦建造計画を中止し、航空母艦と航空機の生産に全力を集中し、しだいに優勢な機動部隊をつくり上げていった」(書籍『失敗の本質』第2章より)
過剰な精神主義は、現実とその中での敗北を見えなくさせて、本来であれば「学習できたはずのこと」から、組織を遠ざけてしまいます。戦争初期に絶対的な優位を誇った日本の零戦は、敵のレーダーや近接信管(当たらなくとも撃墜できる砲弾)の登場で、米軍の艦船にほとんど近づくことができなくなりました。
学習を止めれば、その優位性は相手に浸食され、次第に生存できる領域が狭くなってしまうのです。人や企業にも共通しますが、10年前と強みが変わらない存在は、影響力の範囲もその強さも、はるかに縮小した形で現在を生きていくことになるのです。
草鹿参謀長の「速やかに戦場を、敵上空に推し進めるべきだった」
いわば、敗軍の参謀である草鹿龍之介は、ミッドウェー海戦で敗北が決定した爆撃の一瞬、そしてその後の回想として、敗因を次のように分析しています。
以下の文面は、回想として草鹿参謀長が考えた敗因です。
「その一瞬であった。空一面に覆いかぶさっていた断雲の中から、一機、二機、三機と米艦爆が突っ込んで来た。艦長は即刻転舵を令した。第一弾は危く躱したかに見えたが、二弾、三段は、爆弾の落ちてくるのが下からよく見える(中略)。第三弾は、出撃準備完成の飛行機群の真ん中に命中し、震動と同時に、紅蓮の焔は、たちまち飛行甲板に燃え広がり、黒煙は天に沖し、やがては、搭載爆弾魚雷が諸所に自爆し、そのたびに艦内は大振動を起こし、所在の兵器人員を吹き飛ばし、阿鼻叫喚の巷となった」
「戦場は、ミッドウェー上空の第一回戦闘を除いて、全部わが空母群の上空であった。敵機動部隊の空母群は、なんら日本側飛行機の攻撃を受けていない(中略)。敵機動部隊発見時、多少の犠牲と苦戦を覚悟しても、速やかに戦場を敵上空に推し進めることに、遅疑逡巡した、われら機動部隊司令部の失敗も最も大きな敗戦の直接的原因であった」(いずれも書籍『目撃者が語る昭和史』より、草鹿参謀長の手記から)
また、「この態勢を招来した所以は、立ち上がりに際し、彼我互いに敵を知っていたか否かによって、定まったのであり」と書いています。つまり、どの場所に敵がいて、どこが戦場になるかを先に知った方が、相手の頭上を戦場にすることができるのです。
未来を知る力、未来を創造する力の差が戦場を誰の頭の上にするのかを決めるのです。
最近、大手ネット書店のアマゾンから、電子書籍の読み放題プラン「キンドル・アンリミテッド」が発表されました。視点を変えるなら、これはコンテンツ産業の空母の上で、戦闘が繰り広げられていることに似ています。
テレビ産業は、インターネットに視聴時間をうばわれて久しいと言われています。共に「優れたコンテンツを創る能力」がありながらも、それを超える新たな強みを手にする学習を完成できず、結局はプラットフォームや常時接続をするネットの“新指標”に負けているのです。
端的に言えば、負ける側には未来の戦場を想像する力と新たなテーマの設定力が欠けています。そのような存在は、苦しい戦いの中で善戦をしながらも、敗北がどんどんと近づいている状態にあるはずです。ちょうど、ミッドウェー海戦の日本海軍のようにです。
一方で、IT産業の一部が既存企業や古い業界の売上を奪う立場になり、さらには支配的なポジションを得てしまうことがよく起こります。これはIT業界が、未来の姿を想像することで成り立っている業界であり、常に古い産業の頭上を戦場にできる習性があるからだと推測できるのです。
2016年、日本と日本人は、新たな学習に目覚めているだろうか?
戦略(つまり追いかける指標)の有効性は、時代によって変化します。したがって、戦略の定義を正確に知った上で、常に新しい指標を生み出すことが重要になります。
組織や個人が学習するのを妨げる要因の一つは、過度の精神主義や傲慢さです。問題がない、いま自分はなんの問題も抱えていないと考えれば、新たな強みを生み出すような、苦しい試行錯誤や挑戦を体験できないことになるからです。
戦後は70年目を越え、71年目となりました。名著『失敗の本質』には、組織として目を覆いたくなるような悲惨な失敗とその精緻な分析が溢れています。
一方で、日本と日本人は、いま成功しているのか、失敗しているのかどちらなのでしょうか。私たちは未来を積極的に描き、これまでにない新たな問題を設定し、それを解決するために汗をかき、挑戦と努力をしているでしょうか?
日本企業の生存領域は、順調に拡大しているのか、次第に狭くなっているのでしょうか。私たちの個人としての仕事、活躍の場はいかがでしょうか。
あなたの企業は、敵の空母の上空で(つまり別業界のシェアを奪い取る形で)有利な戦闘をできているでしょうか。敵に上空を押さえられ、熟練の零戦パイロットだけを頼りに、防戦一方で悪戦苦闘を続けている状態でしょうか。
2016年、日本と日本人は、新たな学習に目覚めているでしょうか?次回の【後編】では、日本陸軍の最大の激戦地、そして悲劇の始まりの場所となったガダルカナル島での戦いを描きます。
(後編に続く)