むしろ、「公共による合法的人身売買を通じた貧困ビジネス」に限りなく近づきつつあるのではないだろうか? もちろん、現在のところ、生活保護だからといって強制労働に従事させられたりするわけではない。しかし、現在すでに存在している前述の運用は、「死なない程度のカネはやる。そのかわり、お前のプライバシーはオレのもの、お前のことはオレが決める」という世界だ。「生存」「生活」が「いいようにされる」の交換条件にされてよいのなら、最近のピケティ・ブームに至るまでの数千年の人類の歩みは、いったい何だったのだろうか?

「生活保護で預貯金を認める流れは、生活保護制度ができてからの長年の歴史の中で積み重ねられてできてきたものです。2004年の最高裁判決で、生活保護世帯の子どもの高校進学のための資産形成が認められるようになり、2005年には厚労省が実施要領に『預貯金は個々の判断で』という記述を入れました」(安形氏)

 政権や厚労省による長年の数多くの検討。国会での議論。訴訟を通じての、厚労官僚と生活保護で暮らす人々による事実の確認。1950年以来、連綿と続いてきた気の遠くなる積み重ねが、このままでは「資産申告書」で破壊されてしまいそうだ。日本と日本人の歩みと営みを、このまま「資産申告書」に破壊させてしまってもよいのだろうか? 

 いまのところは任意、しかし年に1回は生活保護で暮らす人々が提出を求められる「資産申告書」は、それほどの破壊力を秘めている。

「ケースワーカー業務にとって致命的」
なぜ貯金を問題にしなくてはならないのか?

 現役のベテランケースワーカーである田川英信氏は、

「ケースワーカーにとっても致命的です」

 と語る。

「生活保護を利用している方々が、支援ではなく監視の対象になってしまうということなんです。それは、生活保護の方々とケースワーカーとの間の信頼関係と、対極にある考え方です。ケースワーカー業務、支援する業務にとっては、致命的なことです」(田川氏)

 そもそも、支給される保護費を、どれだけ貯金に回そうが、支給される金額が変わるわけではない。

「お金を渡した以上は、破綻さえ来さなければ、ご本人の自由です。適切に使わせるために監視する必要があるという意見を持つ方は多いし、現政権も厚労省もそういう考え方ですが……意味が分かりませんね」(田川氏)

 貯金のモチベーションの源は、人によってそれぞれだ。「預金残高が増えていくのが嬉しい」だけ、ということもある。受け持っている生活保護世帯に、「綿のはみだした20年前の布団に寝て、ボロボロの衣服しか持っていなくて、下着は穴だらけの1セットだけ、食事はご飯と納豆だけ、でも貯金は100万円」という方がいたら、田川さんはどうするだろうか?

「あまりにも貯金が溜まっている方には、まず、洋服・布団・家電製品などの購入に使っていただくことを働きかけます。保護費の用途、貯める・貯めないは自由なのですが、必要もないのに貯めて、健康でも文化的でもない最低以下の生活をすることは、やはりご本人のために好ましくありませんから」(田川氏)