戦争が早期決着できなかったのは
「民主主義の限界と仕組みの欠陥」がある

 平和や安全保障問題の議論は、すぐに無益なイデオロギー闘争に陥りがちだ。だが、安易な思想対立に持ち込む前に、まず謙虚に史実を学ぶべきだ。学ぶ方法はさほど専門的な書物でなくても、高校の教科書や博物館レベルで十分だと思う。

 戦時中における総理大臣がどのような意思決定のプロセスを経て戦争に至ったのか、戦争が始まってしまった後の戦略のどこが失敗だったのか、を具体的に知るべきだと思う。1930年代から終戦までの歴史年表を少し学ぶだけでも、いざ本格的な危機が訪れた時、いかに国家運営が困難を極めるかを理解することができる。例えば、危機に陥った時にリーダーになりたがる人間はいない。貧乏くじを引くのがイヤだからだ。

 筆者なりの戦争の総括を行うとすれば、まず第一に、「あの戦争」は起きるべくして起きたということは認めざるを得ないだろう。1853年のペリー来航以来、攘夷か開国か、という論点は常に日本を二分する白熱した議論を呼んできた。現実論として開国派が政権を握り、軍事力や経済力を高めてきたものの、日本にとっては常に西欧列強は脅威であり続けたし、朝鮮半島や満州の利権をめぐって中国やロシアとの軋轢は絶えなかった。

 米国によって開国を迫られた日本は、おそらくその時から対米開戦は宿命づけられていたとも言えよう。ヘビに睨まれてしまったカエルは、もはや戦うか食べられるかの二択しかない中で睨み合いを続けるしかない。むしろ、全面衝突をよく90年間も先延ばしにできたのは外交努力の賜であろう。

 そして、「あの戦争」には戦略と戦術が決定的に欠如していたことも歴然とした事実である。戦争をやるからには勝たねばならない。少なくとも「勝算」は持ってないといけない。

 だが、まず、戦略の失敗は否めない。日本はあくまで米国とは短期決戦のつもりでいただろうが、それまで他の大陸の戦争にあまり関わりを持たなかった米国が、まさかはるばる太平洋を渡って本土攻撃までくることを想定できない甘さがあった。

 一方、戦術もお粗末だった。ロジスティクスもデタラメで、戦闘よりも食糧難で死んだ兵の方が多いくらいだったという。いわゆる「神風特攻隊」もほとんど効果をあげることができなかったのに半ばムリヤリ継続。戦争末期には竹槍で米軍と戦わせるような「狂気の沙汰」(鈴木貫太郎の言葉)の戦術しかない状況であった。結局、戦争の「専門家」であるはずの陸軍も、さほど立派な戦略や戦術は持ち合わせていなかったとは、専門家が万能ではないことを時代を超えて私たちに教えてくれる。